禅寺小僧

日々の記です。

アビダルマ











何日かして、一冊の本が送られてきた。存在の分析(アビダルマ)という
タイトル。講習会に出席するまえに予習して読んできてくださいとのこ
とだったので、読みはじめたところ、わからない、ぜんぜんわからない、
まったく、理解できなかった。
本の中に、唯識三年倶舎八年(ゆいしきさんねん、くしゃはちねん)唯識
は仏教心理学みたいなので、これをマスターするのに三年かかる、倶舎は
仏教哲学でこれをマスターするのに八年かかる、といわれています。とい
う桃栗三年柿八年みたいなごろあわせだけが頭にのこった。僧のなかにも
しっかり学問をおさめる人と、人々のなかにはいっていって物語をふくら
ませて語る、吟遊詩人がいたみたいにかかれていたところも心に残った。
やっぱり学者にはなれないなーと思ったのであった。
自分には無理なんだけど、じっくり、しっかり学問された方の落ち着いた
明晰な底力を尊敬しているけれど、自分には無理であるなとたった一冊文
庫本を読んだだけでわかった。













仏教学者の卵である碩学に、アビダルマの本読んだけどぜんぜんわからん
かったわ、というと、
ああ、あの本ですか、だいたい昔からアビダルマやるのは天才かよっぽど
の馬鹿だっていわれてるんですよ。とのことであった。
お釈迦さんの言われたことを細かく理論だてて説明してあるものらしい。
お釈迦さんに会って、説法にふれた人々にはもう忘れようにも忘れられな
い強烈な目の覚めるような印象がのこったろう。その場でその人に応じた
説法はそんなだったとおもう。だけどその説法の源泉は一般庶民にはわか
りそうもない難解哲学であったのだった。















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