禅寺小僧

日々の記です。

白隠展に行ってきた。











渋谷の文化村で2月24日までやっている白隠展を見
てきた。博物館美術館には縁のない、文化芸術のわか
らん男よ、とまわりから見られてるにもかかわらず今
回は行ってきた。ついでに学士会館であった白隠フォ
ーラムにも顔をださせていただけた。














白隠禅師は江戸中期に東海道の沼津あたりの原という
宿場町の寺におられた和尚さんで、たくさんの弟子を
育てられ、今にいたる禅宗の禅問答などの修行体系を
つくられた方なんである。禅道場でお師匠さんから最
初いただく禅問答は、白隠禅師のつくられた、隻手の
音声(片手の音)という問題なんである。我々は白隠
禅師の考えられた修行体系によって、白隠禅師の考え
られた人間像に向かって修行しているのだ。最終目標
はお釈迦さんの心境になることなのだけど、まずは白
隠禅師になるための修行をしているのだ、といってい
い。この和尚さんは禅画というマンガみたいな簡単な
絵をたくさん描いて、いろいろな人にあげておられた
のが残っていて、今回はそんな絵の展覧会があるの
だ。常々、坊さん友達に白隠禅師の禅問答の修行体系
で修行したのだから最後は問答だけじゃなくて白隠
んみたいな漫画も描くのが本当なのじゃないの、とか
言っていたこともあって本物を拝みにきたわけなの
だ。会場にはものすごい質と量の作品があって、入場
者で混雑していて盛況そのものであった。














白隠フォーラムのほうもこれまた盛況で会場は人で一
杯になっていた。いろいろな方が話されたなかで、楊
柳観音のことを学者のヤン・ベッカーさんが解説され
た。白隠禅師には他の僧侶や絵師にはないオリジナル
の図像がたくさんある。今回説明された楊柳観音もそ
の一つで、観音様のバックが真っ黒に艶消しのような
黒で真っ黒く墨塗られている。光輪の中も真っ黒で丸
く輪郭だけ白い線が残されている。真夜中の観音様、
闇夜の観音様という登場のしかたで、真っ暗の中に出
現されるという感じなんかなと、素人考えていた。さ
すがに学者さんの説明によると、観音様のすわってお
られる巖の下の波は種々の意識が波のように飛び散っ
ていることであり、黒い光輪は白隠禅師が別の本で説
明されているすべての存在が大光明を放つ心の奥底の
本体は黒漆のような黒漫々地なのであるということ
で、この鏡を打ち破ればさらに根があるということな
のだと。観音さまは上に悟りを求め、かつ、下に生き
とし生けるもの救うという、上求菩提下化衆生という
考えを表したものであり、花瓶に挿した梅の枝は、丑
の年、丑の月、丑の日、丑の刻に生まれた白隠禅師を
あらわしているのだという。(梅鉢の紋はは北野天満
宮のことで、天神さんの神のおつかいは丑だから)な
るほどなるほど。終わりの挨拶で所長さんが、今の時
代に白隠さんがおられたらどうされたでしょうか。と
聴衆に問いかけられた。瞬間、今の時代だったら出て
こられないだろうな、と思った。白隠禅師の時代はな
んといっても仏教が生きていて、身の回りに仏教があ
ったのだ。出展されていた達磨像なども大きすぎて現
在では掛けられるところがないのだそうだ。それで表
具するときに余白をトリミングしてカットしてしまっ
たのが沢山あるのだと。軸にして自分の家の床の間に
掛けておこうとするからそうなるわけで、禅師が在世
のころはそんな使い方ではなくて、本堂の中ではなく
て縁側に吊して、縁側や本堂の前の庭に話を聞きたい
人が大勢集まっていたに違いないのだ。部屋の中に収
まる人数の聴衆ではなかったろう。バックの黒い観音
像だってバックが白かったら遠くから見えなかったの
かもしれない。(中国の拓本ふうに筆で描いたのかも
しれないけど。)仏教を聞きたい人が沢山いたのだ。
その白隠さんが民衆に繰り返し説いた仏教は親孝行
と、徳を積むということだった。所長さんはこれを機
会に寺に行って座禅をしてみたらいかがでしょうか、
と挨拶を締めくくられた。














白隠禅師が現代におられたら、白隠展の会場で絵も使
って力強い説法をしてもらいたい。フォーラムの前に
椅子の上でかまわないし短くていいから全員で座禅し
てみたい。終わりには禅師の作られた和讃か四弘誓願
を斉唱したい。徳を積むことと親孝行を現代に説いて
もらいたい。みんなであとについて行きたい。














もしこれから見に行く人がいたら会場の前半にある若
描きの達磨像を是非見たらいい。新発見ものです。真
面目に伝統な達磨像として描かれている。髭なんかも
略することなく一本一本丁寧に描かれていて、横目で
ギロリと睨んだ、凄みのある達磨さんなんだな。厳し
い修行をしている人そのもの。これも両手ひらげたく
らいのすごく大きいサイズなんだ。大きさからしてた
ぶん説法のときに使われたのではないかと思う。晩年
の達磨像とはまったくちがう。このひらきはなになん
だろうか。白隠禅師もはじめは自分のした厳しい修行
で見た世界を話されていたんのじゃなかろうか。しか
し、修行なんてしたことのない近所の人たちに難しい
話をしても、こりゃあかんわ、と思われたんじゃない
かな。難しい話は弟子の修行僧にして、話を聴きにく
る近所の人達には易しいことをやさしく説かれたんじ
ゃなかろうか、なんて絵をみていておもいますよ。画
像としての仏教美術、芸術としては高級品ではないか
もしれませんが、おおきな働きのあった絵なのだろう
とおもいます。




















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