禅寺小僧

日々の記です。

健康の意味古今東西








生きる意味というか目的みたいになってしまうのだけど、今の日本の医療は延命とか救命そのものが意義であるし目的ででもあるんだろうな。元気で長生き、なるべく周りの人の手をわずらせず、ある日ポックリ逝けたらいいんですけどね、なんて話もよく聞くしなあ。できれば生涯現役で仕事もしてという希いが多いんじゃなかろうか。健康になって何をするかというところは本人の意思にまかされてて、現代医療は命を救うのに専念する。


年に2回大谷大学で開催されている中村元哲学カフェで看護学科の先生から、そのようなお話をお聞きして、さらに伝統的チベット医療では健康の目的が仏教の修行をするためなんだと教えていただいた。勉強不足でそんなこと思ってもみなかったことだったんで、へえぇ〜〜そうなんか〜〜〜、なんて感じだったんだけど、日本の江戸時代あたりはどうだったか。



白隠禅師の夜船閑話には「たとえこの内観の秘法を会得することができて、彭祖のように八百歳の長寿を保てるとしても、それは単なる頑迷無知な屍を守る鬼なんである。(中略)長生きということのみが価値あることなんじゃない。四弘の大誓願を奮起して、菩薩の行を修め、つねに仏法を人に説き示し、(中略)堅固な仏の法身を我が身に体得して、金剛不壊の大仙人を成就しなければならない。」


なんておっしゃっておられます。










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