悟りを開かれたあと
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民衆や俗人に混じっての大燈国師の修行を高く評価されたもうひとりに室町時代の一休禅師がおられます。
その頃、「大燈国師行状」という本がでました。大燈国師に天皇が帰依されて、説法を聴きにおとずれた位階の高い紳士の方々が大勢集まって、法堂のまわりは、それぞれ自慢のきらびやかな高級牛車がひしめきあったなどと書かれていましたが、五条の河原で大勢の民衆に混じっての修行をされたことは書かれていませんでした。
これを嘆いて一休禅師は漢詩を作られています。
大燈をかかげ起して、一天輝き
鸞輿誉れを競う、法堂の前
風餐水宿、人の記する無し
第五橋辺、二十年
大燈国師がかかげ起こした灯火は天下にかがやき高級車が法堂の前に群がり名誉を競う
風を喰らい、流水に枕する行雲流水の乞食の修行については誰も書かない
五条の橋の下の二十年間を
(漢詩三行目の風餐水宿の餐の字はは正しくは、偏が二水に旁が食ですが字かなかったので餐の字をあてました)
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