禅寺小僧

日々の記です。

般若心経① 仏教的なものの見方

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般若心経は276文字の短いお経です。唐の時代西暦649年、インドから経典を長安に持ち帰った玄奘三蔵法師が訳したものです。サンスクリット語で書かれた原典には「大本」という少し長い般若心経があり、冒頭にこう書かれています。

 

インドのマガダ国の首都、王舎城のはずれに霊鷲山という山がありました。
観自在菩薩や修行者の長老である舎利子、そのほか多くの修行者や
求道者たちと共に、お釈迦さまは霊鷲山におられました。
お釈迦さまは坐禅中で、「深い完全な智慧」という三昧に入っておられます。
舎利子長老は観自在菩薩に聞きました。

「若い修行者が深い智慧の修行を学ぶならば
この世界や自分自身をどのように見ればよいでしょうか」

 

仏教徒はどのように、自分自身を見ればいいかが般若心経には説かれています。

お釈迦さまらは、そんなに山深くではなくて街外れの山で修行されています。托鉢で供養されたものを食べておられるので、街の近くにおられます。観自在菩薩、舎利子、修行者、求道者らは一緒に修行しています。お釈迦さまは坐禅をされています。喜怒哀楽や、考え事、悩みごとなどの、心の波をおさまった「三昧」に入っておられます。

 

私たちの心を海にたとえると、喜怒哀楽の感情や、考え事で波が立っています。人間は考えるとき、言葉を使って考えていますが、考え事は次から次へと続くという特徴があり、喜怒哀楽や考え事の波はどんどん大きくなります。空から見えるのは海面の波です。その波は私たちの「自分」という意識です。お釈迦さまは坐禅中で波がおさまった状態におられるのです。

 

舎利子は修行の先輩の観自在菩薩に質問をします。

「仏教では、自分をどのように見るのでしょうか?」