禅寺小僧

日々の記です。

捨てれん男よ













ちょっと前の日記で、カッコよく、いままでいろんなモノを後ろに捨てて
きたのよ、と言ってみたものの、啖呵はきったんだが、実は情けないこと
に捨てきれないでいたりもするのです。












薪にして燃やす大量の箱は風呂のお湯を沸かして、灰にしてしまったけれ
ど、触っているうちになんとなく名残惜しいかんじもしてきて、とうとう
引き出しとして第二の人生を歩んでもらうことになりました。角材で引き
出しを二つ作って、上に昔の洗い張りをしたときの板を渡して、机にして
います。いまどきこんなモン、おねだん以上ニトリにでもいけばいくらで
も安くていいのが売っているのだろうし、そのほうが安くて良いのもわか
りきっているのだけど、なんでだかただ燃やしてしまうのもどうだかと思
って、灰にするのをちょっと先の延ばしにした。実家にいたころは部屋も
広かったから、木の机を2台とスチール机を1台持っていて、8畳と6畳
の二間つづきの部屋に3台並べて使っていた。なんでそんなことをしてい
たかというと、それぞれの机でやることを分けていたから、という理由な
のだけど、今から思えば贅沢以外のなにものでもなかった。今は四畳半出
二月堂の坐り机があっただけだったので、机と言っていいかどうか、暑さ
2センチほどの杉板を渡しただけで何の凝ったところもないのだけど、そ
のうち手垢にまみれてよくなって欲しい。部屋にあわせてと、昔よく行っ
た図書館の机が細長い机で、そんな感じがいいかなと。













針金でできた書見台は裏に高校二年、昔の名前がボールペンで書いてある。
これは20数年捨てれずじまいの生き残り。


本箱もリンゴ箱のままだから、これで天井の蛍光灯を裸電球に換えれば、も
う下宿だな。昔と比べ増えたのはパソコンの関係だな。モノのあふれる時代、
何を捨てるかなんだけど、捨てれん男もいる。自分が死んだあとどんなモノ
が残っているのだろうか、なんて想像してみる。捨てれずに残ってしまうもの
って何なんだろう。そうかと思えば、一年間毎朝お寺にやってきて早くから
坐禅し、掃除していた、カナダからの留学生は寺でお茶と出会って今はお茶を
仕事にしている。誰からも信用される勤勉で寡黙な彼は何も持たない生活をつ
づけているようで、本物の禅宗坊さんよりも禅僧らしい生活をしている。頭が
下がる。彼は今でもテント生活なのだ。http://tealoveandcare.wordpress.com/











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