禅寺小僧

日々の記です。

しのぶ会











集まって、めいめいそれぞれ、そこらへんに落ちてる枝を集めてきて、火を焚く。火を中心に円になって、それぞれ腰掛けの石ころを頃がしてきて、坐わり込む。一つの石に、先生がいつも被っていたハンチング帽をのっけたらできあがり。お経をあげるわけでもない。コーヒー持ってきた人やら、お菓子焼いて持ってきてきれた人やら。朝は雨が降っていて、心配してた天気もなんとか大丈夫になった。マシュマロ焼こう。焼き芋が焼けたぞ。葱も焼いてみよう。またコーヒー沸かそう。わーわー言ってるうちに、火は大きくなり、すべての薪に火がついて、やがて熾きになって、灰になっていった。食べるのに忙しくて、先生の話しも学問の話しもほとんど何もしなかった。帽子にはうっすらと白い灰がかぶっていて、今となってみれば、学問の世界と俗世とを自由に行き来できた先生の存在は貴重やったな。今もおられたらいろんな話しが出来たのにねえ。


昔むかし。テレビが無くて、囲炉裏があった昔話の時代。囲炉裏の火を見ながら問わず語りに口伝て耳伝いに語られてきたのが、日本の昔話だった。今は絵本になって、明るいところで読んでもらうのが多いのだろうけど。そんなこんなで火を囲めば話しもはずむだろうっていう予想だったのだけど、火がゆらゆらするのを眺めてしまい、かえってみんな無口になってしまう。新しい発見やったな。






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