禅寺小僧

日々の記です。

精進料理の会









このあいだ、四条通りの薬膳カフェ花菜というところに出向いて
精進料理をつくらせてもらいました。健康に興味のある方などが
集まっておられたようで、みなさんいいものを食べておられるよ
うな方とお見受けしたので、ちょっと恥ずかしくもあったのです
けれども、概ね、このましく思っていただいたようです。
野菜ばっかりだったので、来ていただいた方には、Bioですね、
とか言っていただきました。


月に一度くらい、留学生の方などが、お国の料理を作って、食べて
もらうというのをされているようで、寺の料理もいまや外国並みで
す。手元にあるものを、活かして料理しよう、というくらいのもの
ですから、貧しい食ではあるのですが、今の時代にはかえって眼新
しいのかもしれません。


お寺でも2月の11日の夕方5時から食事会をしようと思いますので
もし興味のある方がいらっしゃいましたら、ご連絡ください。
抹茶、菓子付き、会費2,000円です。研究会活動費に充てられます。
プロフィールの中にアドレスがあります。













さて、何も持たず、初めてお茶会に参加した若い人に、お茶と
お菓子が美味しかったんだったら、これに懲りずに、また来なと
さいよ!言った先生は、本当に心が広いと思うのですよ。捌けて
いるというか。ちょっとやそっと風が吹いても揺るがないものを
持っておられるような。その場でできるというのが凄いではあり
ませんか。もし、身内のものがいたら、、と考えると、あああの
人はお茶を知らん人や。という感じだったんではないかと思うの
です。お茶は高級なもので、やっている人も上品な人で、普通の
人より上の人であるような。京都らしいといえばそれまでなのか
もしれませんが。


千利休のお茶であれば、刀掛けに刀を置いて、娑婆での身分の
上下はおいといて席に入ったのであったし、美味しいお茶を飲
むためにみんなでいい席を作ろうとしたのではなかったろうか。
その席のなかで、人物の上下を云々して、自分はあの人より上
だとか心の中で思ってみたりするのとはちがうような気がする。
侘茶の最初は席の中では平等の精神があったとしても、歴史の
中でだんだん順列が発生してきたのだろうか。


おいしいお茶とお菓子を食べたいというところから、千利休
禅を使ってその時間を長くした。そしてその中に人と人との交
流を組み入れた。その中で堺の商人も戦国大名もたがいを利用
したのだろう。売茶翁の茶はどこへでも釜を運んで、そこで茶
を売っていたので、茶室もなく、道ばたでもどこでも釜を置い
たところが茶室といってもいいかもしれないけれども、千利休
と系統は全くちがうにもかかわらず、売茶翁も広い交友を持っ
ていたのだった。茶を通してする哲学もあったろう。もてなす
とは、自分とは、相手とは。それが点前になっていくのだろう
が、序列と点前重視、道具重視が進んで、外の者には難しい、
わかりにくいものになってしまったのではないか。大きな容れ
物であって欲しい。












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