禅寺小僧

日々の記です。

[精進料理]藤村庸軒












話をしていて、たまたま澱看席のことが出て、うちにお墓がありま
すよ。というのが発端で、いろいろするうちに今日集まりに結びつ
きました。


微翁庸軒居士、菊渓宗英禅定尼、奥さんと2人の戒名を刻んだ五輪塔
が墓地にあります。過去帳では元禄12年9月17日没となっています。
おかげでみんなで集まることができましたと、朝、墓経をあげてき
ました。
床の軸の机にもたれて花瓶の梅を見ておられるのが、庸軒居士です。


千利休の孫で、のちに三千家の祖となる千宗旦は実は小僧として寺に
いて修行していたのですが、大人になって還俗しています。庸軒は
宗旦の弟子で、宗旦の聞き書きの茶道指月集をまとめた人です。
自身で庸軒流を開かれています。
九州柳川の立花宗茂が開基となった、碧玉庵の庭を造られた方で、
林泉図会だったか名所図会だったかを見たところ、林泉は庸軒造る
というような記載があり、紫式部顕彰碑もその築山の上にありま
した。














今では考えられないかもしれませんが、当時は寺にいろいろな人が
集まっていたようです。人が集まればそのなかに当然お茶もあった
でしょう。お茶にはものすごく繊細で、豊かな感性があふれていて、
門外漢の私たちでさえ惹かれます。
やってはみたいのだけど、敷居が高くて、道具は高そうでお金もかか
り、お点前も難しそうで太刀打ちできません。それでまず集まって、
みんなで、おいしいお菓子とお茶を飲んで、御飯を食べて、お酒もい
ただき、お風呂も入り、という会をしてみたいな、と。そのなかで、
たとえ最初は知らなくても、こうしたほうがいいのじゃないの、とい
うところから、作法が見えてくるんではないか、とか。


残念なことに、今の人はほとんど正座をすることがありません。子供
のころは御膳で御飯を食べてましたし、足首には坐りダコができて
いました。いまはありません。ここの寺でもテーブルで御飯を食べて
います。みんな正座できなくなってるんです。だから茶席には入れま
せん。


けれど、藤村庸軒は脚が悪かったそうで、庸軒の茶室にはいろいろ
と工夫がしてあるそうです。たとえ正座できなくても、できることが
あるのでは、お茶にもいろんなバリエーションがあってもいいの
では?という会なのです。












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