禅寺小僧

日々の記です。

強い線





あちこちのお寺を巡って天井の龍を眺めてきたけれど、
作者の個性にかかわらず、近年に描かれたのと古いものとでは
作風や線がやっぱりちがう。時代性なのだろうか現代の絵は
なんとなくイラスト的な感じがするな。江戸期のものがグワンと
画いてあるが、現代のはスツッ、スツッ、スッと描いてあるように
感じる。作者の個性にかかわらず、時代の雰囲気としてそうなので、
江戸期のはおどろおどろしい感じもする。


また後世に名を残すような人の線をみていると、迷いがない。
墨絵なぞは、この画面の10センチ手前で描いてたんだなあ、
と筆跡を辿る。墨絵は油絵とちがって、一発勝負の絵で、塗り重ねたり、
書き足したりのない絵だから、そのときの心持がそのまま画面に
出やすいのではないだろうか。


禅というのは自己を否定して、否定して、否定しつくしたあげくに
グルッと反転して自己を肯定することである、と誰か偉い学者さんが
どこかの本の中に書いていたけれど、自己を肯定するところまでいった
人の描く線は、自信もあれば、力強くもあり、迷いもないのだろう。
筆で絵を描いたり、字を書いたりするのはまったく苦手で、情けない
線しか描けなくて閉口しているのだけど、これも筆と紙との一期一会、
人の身体を触るように、体重をのせるのでもない、力を入れるのでもない、
腰を入れるように紙に深く浸透してゆくように、書いてみたいと、
思うようになった。