禅寺小僧

日々の記です。

ご隠居さん〜インド四住期












現代日本人の理想の多くは生涯現役、ポックリ往生がいいっていう人が多い。まわりを見渡しても名義上、ご隠居さんとなっておられても、実質はまだまだ活躍なさりたいんだろうなって人がたくさんおられます。元気で長生き、健康、活力、アンチエイジングの時代には少々似合いませんが。





聴講させていただいていた、中村元インド哲学カフェがはじまってもう5年、今回は第10回だった。ヨーガの世界〜生/命〜というタイトルの会で、Cafe1:インド四住期〜人生の過ごし方〜細野師の講義を大谷大で聞かせていただきました。


サンスクリットでダルマというのは保つものという意味で、アーシュラダルマ〜人生の時期に応じたダルマ〜としてインドの考えでは人生を四住期として、四つの時期にわけている。


人の一生は受胎から始まって、生男、分髪、誕生、命名、外出、食い初め、結髪、耳穴、手習い〜といろいろの通過儀礼の後、四住期の最初の学生期にはいり、入門、修業、終了して家に戻ってくる。つぎに第二期の家住期にはいり、妻を娶り結婚する。生き物に害をあたえないように、富を蓄積せぬように、身体を苦しめぬように仕事に従事する。自らに皺と白髪を見つけ、また子供に子供ができたのを見たならば、荒れ野に向かうべし、これが第三期の林住期のはじまりで、すべての所持品を放棄し、妻を息子に託すなり、伴うなりして森に出かける。野菜、花、根、果実、果実油を食べ、蜂蜜、肉、地面に生えるキノコを食べる。苦行をおこない自己の肉体をやつれさせる。このように森で人生の第三区分を過ごした後、人生の第四区分を遍歴すべし。いよいよ第四の遊行期にはいる。同伴者をもたず、常に一人で行動する。火も家も持ってはならない。施物を受け取るための容器、樹下、ぼろ布も持ってはいけない。沈黙を守り、完全な精神集中を図るべし。愛する者との別離、好ましくない者との結合、老いの支配、病の苦しみを見つめるべし。この内部の魂の、この身体からの出離と母胎への再生、そして百億の母胎への輪廻を見つめるべし。根本からいっさいの存在に対して愛着がなくなるとき、死語においてもこの世においても、永遠の幸せを獲得する。いっさいの終着を捨て去るとき、いっさいの相対から解放されてブラフマンの中に落ち着く。


現世における人間の一生の区分でも、仕事期がまんなかに、自由が終わりにおかれている。まず最初は、教育における修業期間である「学生期」、次が世俗の仕事に従事する「家住期」、さらに束縛を断つための隠遁の時期「林住期」、そして最後が、死の向こうにある自由「解脱」を待つ時期「出家期」である。







発表を聞かせていただいて、このようなインド哲学を勉強されている方から見られると、現代日本はどんなふうに感じられますか?ってお聞きしたかったのだったけれど、ちょっと聞けずじまいだったのが残念。でもインド四住期の生き方もかえって自由であるような気もするんですよ。












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