禅寺小僧

日々の記です。

寺院と美術館





寺の什物として永く本堂にある襖絵が重要文化財や国宝に
指定されると、どうしても美術品や文化財としてうけとられる
ようになってくる。日本文化を伝える貴重な文化財、美術品
となると、本堂においておくより、博物館などの収蔵庫に収め、
むしろ模写品を本堂にいれて、一般の人に見てもらおうというのが
主流になりつつあって、美術品の保存と公開の点からするとまことに
結構なことでありますな。


有名画家の方が寺の襖絵などを描かれると話題性があり、
宣伝効果もあって、テレビに取り上げられたりするみたいやけど、
同じ絵だとしても、おく場所がどこかのビルの壁であるより、
記事になりやすい、しやすいような気がする。
寺にいるだけで、なんとなくありがたく見えるということはあるようで、
現実に、
「法衣をつけて、お寺に坐ってると、立派な人であるかのように、見えますな。」
言われる。
怖い怖い。







芸術は美術館で見るのが、今ではあたりまえなのかもしれないけれど、
なにか縁があって寺に伝わったものは、ずっと寺においてあっても
いいような気もしている。
江戸時代に襖絵を奉納してもらった絵師にしても
彼の祖父、曽祖父から寺との付き合いがあるのだし、彼自身も雅号を
ここの和尚さんからもらっていて、その和尚さんから求められたから
画かれたということがあっただろう。それに寺の本堂に収めるのだから、
何々家先祖代々菩提供養のためにさせていただく、という思いがあったはず。
この世での名誉や欲望から少しはなれた心であったと信じたい。


みんなで集まってお香を焚き、お経をあげて祈るこの空間に、
永くおいてもらいたい、ということもあったのじゃないだろうか。
それ以外の什物にしても、寺に永くおいてもらいたい、という思いで
持ってきてくださって、奉納してくださったのを寺で代々守り伝えて
きたのではないか。
それに見るほうにしても靴を脱いでお堂にあがり、お参りしてから見るのと、
美術館で見るのと微妙に心持ちが違うような気がするんだけれども。


こんなことを、ふと思うのは、
やっぱり、古いのだろうか。