禅寺小僧

日々の記です。

座禅と脳波


 日本の難病研究所とイギリスの大学から先生がひとりづつ
来られて実験をしたが、64電極もある脳波計をつけてもらう。
けっこう細かく調べてもらったみたい。


いつも、何のために座禅するのかと考えてみると、今は朝、
朝課前に坐って調子がでてきたら、お経をあげる、という
感じなんで、特に目的があっていそしんでいるわけではない。
お経をあげるまでの一呼吸、調子をとっているのだから、
どんな脳波を出そう、などと考えているわけでは全くないわな。
ただ心が何かに引っぱられて、ざわざわ惑わされているのは
本当でないと思っているので、座禅のぽっかりと落ちこんだ
ような感じは好きだわな。落ちこんだ、といっても気分が
落ち込んでいるわけでは全然なくて、感覚的にシンとした感じ
止静(しじょう)っていうんだけど、それは大好きだ。


今回は実験会場がうちの寺だったので、合間の時間に先生と
いろいろ話する。イギリスから来た先生と話していると、
どうも座禅の研究というようりも、ヨガ、気功、ラマ僧など
いろんな、精神修行のようなことをしている人たちの脳波を
測っているらしい。瞑想という言葉をよく使っていた。
東洋系の精神修行に瞑想はつきものであるし。座禅の仕方も
先生はあまり詳しくなかったようなので、夕方、実際に座禅の
仕方を教えると次の日の昼も座禅しておられた。


最初、手の置き方で、ヨガのやり方をして欲しいようだったが
手の置き所、というのは以外に、かなり大事なことなんです。
手をどう置くか、だけで内容や気分がずいぶん違うんです。
と説明し、座禅のおき方でやらしてもらった。


座禅中の脳波測定で心配事が一つ。
別に脳波を変化させたり安定させたりするために座禅をしている
のではない、というのがあった。脳波を計測してみると、普通に
しているときと全く変らなかったり、眠っているのと同じ、という
結果がでたときに、かれこれ十年以上も足の痛いのを堪えた努力が
なんとなくむなしく感じられはしないか。個人的な問題もあるが
禅仏教の中心である座禅にたいして意味はなかった、というような
結果が出ぬはしないか、ということ。
座禅の格好をしていても、内容ははたしてあったのか、ということ。
など。など。


何のために座禅するのか。
普段はざわめいているのを、鎮めて、奥底を覗いてみたい
と思うからで、それで底がちょっと深くなるような気がする
からだろうか。