禅寺小僧

日々の記です。

脳波と座禅の関係


なんでいまだに座禅してるの?
なんでも続けていて、知りたい人に知ってることを教えて
あげられるっていうの、いいじゃない。
だからつづけているだけ、か。


古井戸に雪を埋めるようなもの、というけれど、
20代の半分から終わりまで全部と30代の途中まで、
ブチ込んですべて無駄にしてしまったのは、
その10年間のうち何度か、ホンの何度か、忘れられない
ような充実した瞬間が座禅のなかにあったから、好きで時間を
無駄にしていただけだろう。それを脳波という数字で測れるのか。
あなたに好きな人がいて、どれくらい好きなの?
と問われて、なんと答える?数字でこれ位、と言えへんはず。
ただ好きです。というだけだと思うし、恋人と会っているときの
気持ちを聞かれてもそれと同じだとおもう。


つまり、主観的な感覚を数字にするのにはそもそも無理があるのと
ちがうか。個人の内面に何か引っかかるものがあって、毎日同じように
すごしていたとしても、ある、なにげない瞬間に思いの晴れることも
あるだろうし。でもそれは数字的には、他と同じ瞬間で、しかしながら
あなた個人にとっては、一生わすれられない、貴重な充実の瞬間なのだ。


実験は何個にものパートに分かれていて、最初は瞑想にならないように
座っていてください、というもの。眼をあけて、とか、眼を閉じて、とか。
座禅をしたり、イメージをつかって、自分が空っぽになったように、
自分がここにいるとイメージして、眉間からエネルギーがでているように、
下から上へエネルギーが上昇するように、とか。


眼を閉じていても、開けていても、イメージを使うのは座禅ではない、
と感じた。たぶん、イメージを駆使すれば、特に初心者を誘導するのは
楽なのだろうと思うし、狙った方向にもって行きやすいと思う。けれど、
作為がありすぎるような気がする。意識の力が大きすぎるように思う。
確かに精神を集中するのは安易なのかもしれない。が、自己催眠をかけて
いるようなものではないのか。


座禅の脳波を計測してみると、座禅を始めて10分ぐらいすると呼吸が
落ち着いてくる。データを、見てみると一呼吸だいたい60秒ぐらいに
落ちてくる。ほぼ一呼吸ごとに数秒、シーター波が発生していた。
脳波はふだん、ベータ波とよばれる周波数で、眼を閉じたりリラックス
するとアルファ波といわれる周波数に落ちるらしい。シータ波はさらに
周波数が小さいのを言うらしいのだが。
ずっと眼をあけて座禅しているのだが、眼をあけている状態でシータ波
が観測されたのは先生がいろんな論文をよんでいる限り初めてのことらしい。


気功とか、ヨガとか、いろいろ実験してみたけどなかったそうで。
先生は喜んで、今年、ドイツの大学にダライラマが来て講演したんだけど、
来年は是非来て、初心者向きの瞑想の授業をしてくれないか。だと。
先生にその力がおありなら是非呼んでくださいな。喜んで。
飛行機の切符とユーロが高いので自分ではとても行けませんけれど。


他の瞑想と座禅がちがうところは、イメージを使わないことだ。


というのがわかった。眼をあけていたら出るはずのないシーター波というのも
でることがわかった。でも別に何にも偉くなるわけでもないし。
まあ、それくらい無駄に時間をつぎ込んでいたんだ、ということなのだろうと思う。