禅寺小僧

日々の記です。

11月の座禅会の予定






11月の座禅会は
4日、11日、18日を予定しています。
朝8時から10時頃まで。
24日は滋賀県にいきますので休みの予定です。
どうぞよろしくお願いします。


忙しいなか実験に参加された方々のご協力によりまして、
座禅における高意識状態の研究はひとまず終わりました。
感謝しております。
当初、数値的データを採取することでかえって、座禅や仏教が
誤解されるおそれがある、といった意見や、そもそも医学的見地
からの研究をとりいれるなどもっての他である、という意見が
多く苦渋いたしました。そうした中で、快く、お役に立てるのでしたら、
と、何の見返りもない実験に参加してくださった方々には
いくら感謝したりません。
こういう頼りになる方々がいてくださって本当に心強く思いました。
また、解析が終わるのは来年2月頃とのことですが、ナマのデータを
みせていただいただけでも、やっぱり座禅も値打ちあるのではないか
との思いを強くしました。何かの役に立つというものではありませんが。
今回のことが直接、認知症などの病気の予防や治療に寄与することは
ないのかもしれませんが、続けてゆくことで何らかの成果があるのかも
しれません。


実験を受けてよかったことの一つは、ヨガ、気功、などの瞑想との
違いでした。実験者のリクエストでこんどはどんなイメージで、と
指定があるのですが、眉間に意識を集める、エネルギーの流れを意識
するなど、伝統的な座禅にすれば、雑念、とされるようなことを
意識的にするのだ。と不思議に思いました。座禅の場合は放ったらかし
ですが、他の瞑想法では自分で、イメージを使うものが多いようです。
ゴールをはじめから意識的に決めて瞑想を始めるといった感じです。
もちろん、慣れもあるのでしょうが、データを見た感じではイメージを
意識しないそっけない座禅の方が、イメージを使う瞑想より、
意識状態はより深く低下していました。


この間フランス人で、代々グレゴリオ聖歌をしてきた家系の人と会いましたが
聖歌を歌うときだけでなく、普段でも強烈に神を感じ、意識しているそうです。
あなたがお経をあげるときはどうですか、というので、特にそんなことはない。
その日の調子であげている。というかお経をあげることで調子をとっているような
感じだな。というと、信じられない、そんなことはない筈だ。歴史ある寺の境内に
すんでいて、そんなことはありえない。とのことでした。
自分の外に神を感じ、神と交信する文化と、自己の中に仏性というか神を見ようと
する文化の違いのようなものを感じました。


一方は自分の外にある、聖なる神に近づきたいと努力するし、
もう一方は自分の中にある仏を意識の力をかりずにそのまま観察しようとします。
行き着く先までいったら案外同じようなところに到達するのかもしれませんけれど。







肥料は犬が尿をするくらいですが、2メートル以上の高さになります。
咲き始めはピンクでだんだん白くなります。一面の花盛り。
毎年咲くのが楽しみ。何の変哲もないキクですが、昔の屏風にも書いてあって、
けっこう好きな花で、秋は菊、と思ってる。
ツバキは大きな樹で、中庭の主ですね。冬の間じゅう咲きます。
があまり愛でる人もないですね。