禅寺小僧

日々の記です。

拝観料


 ごぶさたでしたが、おとなしく、ぼちぼちやっております。
6月18日の朝日新聞で鎌倉の寺をあるいた天声人語の筆者が、
寺院の拝観料が高いと嘆いている。鎌倉市や神奈川県がユネスコ
世界遺産の登録を望んでいるが、いびつに国際化し拝観料が高い
だけのカマクラになるだけなら「世界」看板は無用だ。武士は
食わねど高楊枝でいい。と結んでいる記事を見せられた。


寺に拝観に来られる方は拝観料が高いと思う人が多いのだろうから
このような記事がのるのだろうし、そもそもなんで寺におまいりするのに
料金が必要なのか、と思われるだろう。そもそも寺は公共物ではないのか、
と。その一方で寺の側の事情もなかなか大変なのはわかる。
江戸時代に大名の援助なり、寺の田からの年貢があった時代とはちがい、
毎年の寺の維持修繕費を捻出するのはなかなか大変なのだろうと思う。
拝観料をもらうというのは、だいたいが戦後に寺院が荒廃し、どうにも
寺院が立ち行かなくなってはじまったんではないだろうか。
寺は税金がいらんからよろしいなあ。といつもいわれるけれど、
一年間の広い寺の維持修繕費は税金よりも高いのじゃないだろうか。
どこのお寺さんでも、どこも苦労しておられるように思えてならない。


記事の中でも、得られる満足のほどは、何を見に来たかにもよろう。
と書かれているが、チラリとみただけではなかなか真の値打ちがわかならい
ことも多い。残念ながら仏教や仏教美術は映画みたいに見たらわかるという
ようなものでもない。だから余計に値打ちが無いと感じられているのでしょうが、
できることなら少し勉強をしてください。深く知ればわかることもあります。
それに映画みたいに総入替制にはなっていませんから、一日寺の縁側に座って
いることも可能です。パッと見でなくてじっくり見ているとまた、わかることも
あるのではないでしょうか。