禅寺小僧

日々の記です。

一休さんと寺納豆









このあたりは地名に野とつくのを見てもわかるように、昔は野原だった
んです。東の堀川と西の紙屋川の間の高台で、ダムができるまではあまり
田んぼがなかった地域です。鎌倉時代の1315年に最初にお寺がつくられて
から、だんだん寺領は広くなって、西は千本通り、南は鞍馬口通り、北は
秀吉の造った御土居の中まで、東は鴨川の堤防まで、つまり今みんなが、
勉強している学校も昔は寺の敷地でした。明治4年に明治政府が上地令を出
してお寺は寺領を失いました。北大路通りがつくられたのも昭和になって
からです。


応仁元年、1467年に応仁の乱がおこります。船岡山が西軍の陣地となったの
でこの辺りは西陣と呼ばれるようになったことは皆さんも勉強したと思います。


とんちで有名な一休さんが80歳でお寺の住職になったのは応仁の乱の最中
の文明6年、1474年です。今、テレビなどでは一休さんは金持ちの大きなお
寺を嫌って名前だけ住職になり、田舎にひっこんだんだと言っていますが、
実際にはそのときはもうお寺は応仁の乱で焼けて何もありませんでした。