禅寺小僧

日々の記です。

いただきます、と言いますか。 つづき。

hekigyokuan2006-03-17

 アジアの近代化の典型の一つは、地主からの解放である、だろう。昔は寺も地主だったから、年貢米を積み上げて、法要をして、その後が忘年会だった。いまでも法要と忘年会は残っている。これが終わらないと一年が終わったという気がしない。水がいいからおいしい、とみんなの自慢の新米の御飯。けんちん汁。鉢一杯に盛られた漬物。イトコ煮。これは小豆のぜんざいなのだけど、餅や団子がはいっていない。その代わりにコンニャクとサトイモが入っている。コンニャクもコンニャク芋からできていて、サト芋と兄弟とまではいかないにしても従兄弟ぐらいの関係だろう、ということからつけられた名前らしい。この日は、村中の家から必ず、誰かが、寺に来なければならない。年貢は無くなってもそれは続いている。もっとも、昔の年貢は「今年はこれだけお米が獲れて、お寺にもこれだけ収められた。」という感覚のもので、現在のような地主=搾取という図式だけでもなかったようだ。実際、自分で収めたのを宴会で食べてるわけだから。挨拶が終わって宴会が始まると、あちこちからリレー方式で御猪口が廻ってくる。「和尚さん!、○○さんから。」といわれて近くの人に注いでもらう。グイッとやる。「○○さんッに御返盃!」とリレーで渡す。というのを、延々、果てしなく、というのが流儀だ。酒豪連の量が近頃少し減ってきたのだが、チョット前まで、こっちが潰れて、帰りの電車乗り過ごしそうになるくらいの宴会だった。一月、雪の中で大般若のあと豊作祈願したのから始まって、やっとここまで来たか。今年も一年、ナントカ無事に終わったよ。というので酒が旨いのである。ホッとしているんだ。さっきのお経は狩猟民族が獲物をとったとき、獲物を与えたくれた山の神に祈るようなものなのか。昔は農業技術も発達していなくて、不作も豊作も今より激しかった。蔵に米が入れれた、というのは一年間の安全保障であったらしい。その喜びは、現在、カントリータワーに玄米を入れるのとどちらが大きいのであろうか。   
    
 モノが溢れ、余り、ゴミの処理が問題になる時代になって、当然のことながら、モノに対して人間が感じていた、ありがたみ、値打ち、幸福感などが、瓦解し、霧散してしまった。作り手によっては鍋の上に砂糖の膜が張るといわれる、従兄弟煮だって、今はおかわりする人はあまりいないが、昔はこれが一番のご馳走だったのだ。信じられないことだが、砂糖だけでなく、小豆も貴重品だったらしいのだ。従兄弟煮はスゴイ御馳走でこれが食べたいからみんな集まったのだ、という人までいる。いつの頃からか、一年かかって日本人全員が食べても、余りのお米がでるようになり、食べ物が無くなる、という恐怖が消えたついでに、食べ物に感じる感謝も消えていった。蔵に入った米俵が自分の命を担保してくれている、という感覚もなくなった。その代わりに出てきたのが、給食費を払っているから、イタダキマスというのはおかしい。とか。イタダキマスというのは仏教の影響があるから学校では宗教的なことはヤメたほうがいい、という感覚だ。宗教とはあまり関係ないと思うのだが、、。