禅寺小僧

日々の記です。










京都の町が戦場になって、民衆は疎開していて、戦争が終わると
京都の町の大半は焼けて灰になっていたということです。


子供の頃、親戚達と田辺の一休寺に遊びにいったことがあって、
一休寺納豆というのを買って帰って、家で開けて、口に入れた途端、
吃驚しました。その頃はまだあんまり京都では普通の糸引き納豆は
あまり食べなかったんです。お菓子の甘納豆はあった。見たところ
黒い納豆やったし、てっきりお菓子の甘納豆やと思って、砂糖の味
がすると思って食べてから、塩辛いのに吃驚して、泣いた、と思います。
味があまりに予想と違ったんです。


今ではお寺で自分で納豆を作っています。
最近はお菓子の中に寺納豆を入れたりするのが流行っていますが、もと
もとは、お寺で朝食べるお粥に入れるものなのです。細かく刻んで、熱い
お粥の中にいれて溶かして食べるとなんとも美味しいんです。みんなは、
お粥って食べますか?あまり食べたこと無いかもしれませんが、お米の味が
よくわかるのは御飯よりもお粥です。お米の良し悪しが出るし、炊き方でも
お米の味を引き出せたり、出せなかったりする。
出来たら一度お寺で納豆をお粥に入れて食べてみてください。
刻んだのを味噌汁にちょっと混ぜても赤だし風になっておいしいですよ。


京都では祇園祭のお囃子が聞こえてきたら梅雨明けや、っていうんですけど、
そのころに納豆を仕込み始めます。寺にある大釜に大豆をいれて半日炊いて
ゆきます。炊き上がったのに麦焦がし、はったい粉をまぶして室という部屋に
上手においておくと、何もしなくても麹という黴が勝手につくんです。
麹を利用して甘酒や日本酒や味噌を作るんです。麹のついた豆に塩水をいれて
天日の下で毎日かきまわしてできたのが、みんなの食べた納豆です。











大人になってから、たまたま、いろんな縁があって、禅寺の道場で
修行することになりました。
一休さんのような生活です。
昔のお寺は学校のようなところでもありました。
お寺の学校は、先生の和尚さんと生徒である修行僧が同じお寺で、
泊り込みで一緒に生活します。なるべくお金がかからないように、
自分達の手で作れるものはなんでも作るし、なんでも自分達でします。
お寺の中ある畑で種をまいて野菜を作るし、竹薮では筍を取ります。
植木の手入れなんかも全部自分達でします。
いらなくなった樹や家を壊した廃材を貰ってきて、こんな大きな二人
ビキののこぎりで切って斧で割って作った薪で、毎日の御飯を炊いたり
お風呂は5日に一回ですけど、沸かしたりしています。水は井戸水を使って
います。












もったいない、って言葉が最近流行ってて、資源を大切に、地球にやさしく
しないといけないっていわれてるけど、自分で畑を耕して、種を蒔いて、
虫が出たら手で取って、2ケ月とか3ケ月してやっと収穫したとしたら、
何も言われなくても、菜っ葉の一枚を大事にしますよ。
自分で苦労して薪作っていたら、たとえ薪一本でも自然に大事にして使い
ます。なんか無駄にできなくなるんですね。
お米やお金は托鉢して町の人達から少しずつ寄附してもらってくるので、
授業料はありません。











お寺ではまず生活をして、それで余った時間で修行や勉強をします。
みななで集まって共同生活をして、いろいろな役目を半年ごとのかわり
ばんこでやります。畑で野菜を作る人、台所の係りの人、先生のお世話をする人、
みんなを朝起こしてお経を先導する人、お客さんの相手をする人、いろんな修理
なんかをする人とかいろいろいます。そしてみんなでいろんな役目を回して
ゆくのです。











お寺で生活をして、余った時間で勉強するといいましたが、一人で生活して、
なんでもかんでも一人でしていたら時間が足らなくなるから、みんなで役目を
きめてやって時間を有効に使うのです。
そしていろいろな役目をみんなでまわしてゆくと面白いことに気がつきます。











あの人はなんでも出来る人だ、とか、あの人は何をしてもダメな人だ、
とか言う人がいますけど、よく見てると、そんなことない、ってことが
わかります。
いろんなことをして、一緒に生活して、一緒に勉強していると、あの
人はだいたいなんでも器用にこなすけど、何故だか植木の手入れは上手でない
とか、あの人は何もしてもダメだけど、何故だか托鉢をすると不思議と
町の人からいろいろ貰って来るとか。いろんな人と付き合うのが得意とか。
それでいいんです。そんな風にみんなの中で生活なり勉強なりをしてゆくうちに
自分の立ち位置みたいなものがだんだんわかってくるのです。
お寺では仏教の修行というよりは、仏教で修行してゆくという感じです。
仏教を使って自分の修行をしてゆくのです。自分の器の深さを深めてゆくのです。
みんなも学校での生活を通して自分の根っこをしっかり持って、土台を
大きく持って、どんな風が吹いてきてもぶれない、樹になってください。