禅寺小僧

日々の記です。

ゆめのあと










不要不急の設備として、戦争中の金属供出の対象となったケーブルカー線
にあった車両、ケーブル、機械類の金属、その他いっさいのものが持ちさ
られた。残されたものは何もない。まったくガランドウになって建物だけ
が残されて数十年。駅舎だった建物は仕事から解放されて、何のために使
われることなく雨と風と太陽と時間にさらされてゆるやかに崩壊してい
る。しみこんだ雨水が中の鉄筋を錆びさせて膨張させるためか周りのコン
クリートが少しづつ剥落し、建物のまわりに傾斜した山をつくっている。












かつては乗降客の歓声にもつつまれ、山上の終着駅としての機能していた
のがすべてのことから解放されて、ただの建造物としてだけ取り残されて
いる。持ち去って再利用できないからここにあるのだろうけど、時間の流
れのままに崩れてゆく白っぽいコンクリート片を見ている。建物の季節も
秋なのだな。街中だと不要となるとさっさと粉砕されてしまい、秋も冬も
見ることがないけれど。用から解放されてただ風雪に時間を重ねるのは素
晴らしいことだった。人間が鉄鉱石から作り出した金属の鉄は錆びてしま
うけれど、錆びて酸化鉄となった鉄筋はもとの鉄鉱石に戻ったともいえる
わけだし、自然のなかでは金属としての鉄よりも、より安定した酸化鉄に
なってゆくのだな。コンクリートもやがて少しづつ砂に戻ってゆくのかも
しれない。人間の身体もおなじように錆びてほどけてゆくのだろうな。自
然が造形した岸壁は美しいけれど、人間がつくった無機質な洞窟もまたち
がった味があった。花をおいたり、生きた人間を撮ったりしたら。












197908