禅寺小僧

日々の記です。

4月28日。午後2時46分、耳を澄ませ。鎮魂の鐘















4月6日から、840キロ走って宮城県の被災地に行ってきた。
京都からは車2台で5人、さらにダンプ2台にユンボ1台、
ドラム缶2本に燃料、その他3県から。
寺のネットワークで援助物資多数集め他県の寺に集積してから
ハイエースに積み込んで運んでいただいた。
















宮城に行く前にも、茨城県の先輩の寺が避難所に指定されて、
市役所は避難所に指定するだけで、炊き出しはそちらでやって
ください。ということになり、昔とちがって、米蔵があるわけ
でもなく困っています。米、味噌を送ってください。という。
ここでウチの味噌蔵が開かなければウソだと思い、味噌樽から
大量に放出し、ヤマト便で送らせていただいた。
日本仏教は葬式仏教で何もしないと思っているだろうけれど、
ここにはいろんな活動をしているんだ。和尚さんと檀家さんとかが
いっしょになって炊き出しにお世話に奮闘しているのだけれど、
テレビでそんな寺の避難所の映像はでてこないので何もしていない
ようにおもわれてるんだろ。

















京都から一緒に行ったひとりに喫茶店のカッコイイお兄さんがいて、
被災地の方にコーヒーを淹れたいと思い、彼の母親が和尚さんに、
連れて行ってやってください。と頼みこみんだのと、喫茶店以外の
仕事の都合もついたので一緒に行っていただけることになった。
行きの車中で、お寺の先輩後輩ってすごい団結力ですね。と彼が言うが、
やっぱりそうじゃないか。
被災地ではイケメンも不足していて、彼は本当にありがたがれた。
茶礼のときに彼がコーヒーや紅茶を淹れていれてくれると、えんえん
泥海をかいだしている作業の中にもひとつの区切りができて、みんなで
話ができる。彼以外は土だらけのムサイ男どもばかりだし、幼稚園を
併設してある寺だったものだからきれいな幼稚園の先生も檀家さんも
みんなで手伝っていたから彼はいい仕事をしてくれた。
今年、初就職で幼稚園にきて、まだ先生の制服を着ていないんです、
というかわいい気の毒な先生もいたのだけれど、イケメン氏の淹れて
くれる休憩のお茶のおかげて、一つにまとまり、一番明るいチームだったな。
















料理の得意な和尚さんが台所担当で、行く前からシチューその他を作って冷凍
してもっていき、その他にもいろいろ美味しいものを食べさせていただいた。
プロパンガスのタンク2つとコンロも2つも持ち込んで、置いて帰ってきた。
こんなことを書くと、いや書かなくても身内から、お前らどうせお祭り騒ぎに
行ってきたんだろう。一週間くらい行ってなんになる、みたいなことを言われる。
わざわざ遠いところまで行って
社会的評価をおとしているようなものなんだけど、それは自分の人徳のなさ、
仕方ない。言わせておけ。
とにかく行ってきた。
若い頃、7年も大学にいって、海外の未踏峰まで登ったという和尚さんが、
この方は凄いアイデアマンだったのだけど、俺も食料もってきたけれど、
みんなそれぞれ自分の得意なことをやったらエエんやな。
それで、みんなで、全体としてうまくいけばええんやな。
とおっしゃっていた。修行もそうだな。だから集団で修行するだろう。



この寺はもともと津波があったときの避難所に指定されていたのだったが、
今回のは大きかった。きれいだった本堂と幼稚園の一回部分が背丈以上に
津波に覆われてしまった。津波8回きて、2度目のが一番大きかったと
壁についた線を指差して説明される。逃げ菜あかん、和尚さんのとっさの
ひらめきと判断で幼稚園の延長保育の児童達と先生と近所のお年寄り達は
山に逃げて助かった。これにもいろんなドラマがあるのだが。
仕事は本堂前のガラクタを除去すること。ダンプに積んで捨てに行く。
車が入れるようにするために壊れた石の塀を撤去する。漂着した車をユンボ
どかす。あらゆるところを覆っている泥を一輪車に積んで捨てにゆく。
畳は全部すてる。その下地のベニヤのコンパネも一度水を吸ったらもう
あかん、廃棄。畳をひいてなくてベニヤの床だったところは大きく盛り上がって
いた。冷蔵庫、洗濯機、炊飯器、ありとあらゆる電化製品すべてダメ。
タンスなんかの家具もベニヤものはすべてだめ。本もダメ。
これも捨てますか?
と聞いて捨てに行く。
ベニヤ板、ベニヤ板、ベニヤ板。釘、釘、釘。泥、泥、泥。
ベニヤをめくった下の基礎はまだ水が引いてなくて、泥水がたまっていた。
電気、ガス、水道、すべて無し。
トイレは最初にユンボで深い穴を掘って作った。
いちばん残念だったのは自家発電機をもっていったので、井戸のポンプにつないで
みたら、モーターではなくて電子回路のほうがサビ錆になっていて、まったく
動かんかった。もしかしたらモーターも内部で錆びているのかもしれないけど。
気軽に手を洗うこともできない。

















ボランティアで人の役に立ちたい、という人は多い。
けれど、いろいろな制約があってなかなか現地に入って仕事をすることは
実際には難しい。行けるヤツは恵まれているんだ、と言われた。
遠く宮城まで行けたことには本当に感謝しなければ。
自分にとって余っている、モノや労力や義援金を隣人に分かつことは大切な
ことだと思う。だけどそれ以上に同じサンガの仲間と心を同じくすることは
大切だし、なかなかできないことだろうと思う。同じ修行者として、共に生きる
ものとして。
自然のパワーは物凄く、あたりは爆撃されたようにすべてを吹き飛ばされていた。
雨の中、おばさんが一人、コンクリートブロックの上にのせて、見つけたアルバムを
めくっていた。家の仏壇の過去帳も、寺の過去帳もすべてをどこかに押し流してしまい、
大切にしていた、あらゆるものをゴミにかえてしまい、その上に重たい泥を置きざりに
していった。泥をよけてもとの地面を探すのは人間だけなのかな、とか思った。












亡くなれた方、肉親を亡くされた方や、すべてを流された方、その地に代々
住まれてきた方の気持ちにはとてもなれないかもしれないけれど、想いを同じ
にしようとすることはできる。
多くの方が亡くなられて明日、4月28日で、四十九日になる。
全日仏という団体の呼びかけで、地震のあった2時46分に全国の寺で鐘を撞き、
読経をします。京都の東西南北のあちこちから鐘の音が聞こえてくることと
思います。読経の声が響くことと思います。
2時46分になったら、少し仕事の手を休めて、窓をあけてあちこちから流れる
鐘の声に耳をかたむけてください。
東日本大震災四十九日の鎮魂の鐘に、耳をかたむけ、
手をあわせてくだされば。


追伸
ボランティアをしてお役に立ちたい、けれど様々な理由でできない
方が多くいらっしゃると思います。ボランティア活動の源泉はキリ
スト教の隣人愛からきていると思います。あなたの隣人を愛しなさ
い。他民族の交じり合うキリスト教世界で、争いを避け、仲良くし
てゆくために大切なこととでしょう。けれど、してあげる、ことと、
してもらう、ことの間には何かしらの断絶がありはしないでしょう
か。こちら側から、あちら側へ。大丈夫だった地域から、被害のあ
った地域へ。タフなものから、そうでないものへと。
仏教者としては、亡くなられた方の冥福を祈り、被災された方の気
持ちに、いかばかりであったろうと、寄り添うことが大切なのでは
と思うのです。仏教の慈悲とは苦しみにいる人の心はいかばかりで
あろうかと、同じ土台まで降りていって思いをいたそうとすること、
それが日本というサンガにくらす人々への供養なのではないでしょ
うか。






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