禅寺小僧

日々の記です。

手箒











献体をされているので遺骨はないのだけど、大和尚の四十九日の忌明けには、生前のご人徳をしめすように檀家さんをはじめ大勢の方々が集まられていた。献体が遺骨になって医大から戻ってくるのには、一年以上かかるそうなので、骨箱のなかには何も入ってないのですかと尋ねると、入れ歯が入ってるんだと今の住職さんがおっしゃった。真っ赤な太陽のような陽性の大和尚であったから、寺に来た人は和尚と話していると自分の中の陽がしらずしらずのうちにあたためられたようにおもう。困りごとというほどでもないかもしれないがことがあったとき和尚は、ワシは無策で行こうと思う、と言われて話をしにいかれたけれど、ことは円くおさまった。私心がなくて天地と一体になったような人だったけれど、子供のころから人一倍の苦労はされたのではなかったろうか。






葬儀では和尚のお弟子さんらが、喪に服して和尚が亡くなられてから伸ばしつづけた髪のまま並ばれる。毎朝5時から毎朝かならず坐禅をされていて、在家の人も一緒に参加されていた。何十年とつづいたからトータルで回数は一万日を超えたとか聞いていた。坐禅会にかよううちに、それぞれの人生の節目でもあったのだろうけれど出家を決意し、長く修行道場で修行をつとめて他の寺の住職になられた方が2名おられた。喪に服した二人が髪を伸ばしている、ああもう一人大事なお弟子さんがいたのに。その方は出家までして10年以上も修行されたのだったけど、50歳の若さで亡くなられたのだった。ああここまで来たのだったらやっぱり墓参りに行かねばな。法要のおときのあと、京都とは反対の方向へ特急に乗り、島の友達に今から行くけど行っていいですかって電話して、港からジェット船に乗った。突然訪ねて二泊もさせてもらい、忙しいなかを兼務しておられる和尚さんに寺をあけてもらい、みんなで墓にお参りさせてもらえた。みんなに迷惑をかけて墓参りをさせてもらえた。大和尚が亡くなったよ、あなたが生きておられて法要の列にならんでおられたら、またちょっと引き締まったでしょうに、と挨拶してきた。






京都に戻ってきて、役をされてる和尚さん方にお茶をいただいていると、最近の若い人たちが作っている竹箒が凄い!という話になった。竹箒は雨の日に作るのだけど、若い人らがすごいスケスケの竹箒を作っていて、あんなんで掃けるんかいな、と驚いておられたけど、まあそんなもんじゃないのかなあと思った。今の若い人で竹屋さんが作るような竹箒はもう作れなくてあたりまえなんではないかな。子供のときからいつも作ってました、なんて人はもういないと思う。七夕飾りに使った竹をかたずけて、朝顔の支えにしてやったら、竹の枝が余った。竹箒の話していたなと思いつつ、手箒がちびてきたから、針金でまとめてみた。和尚さんらが見たら、針金か紐むすべへんのか、なんやこれで掃除したら逆にゴミが出てきそうやな、なんて思われそうな不出来なのができた。こんなのを作っていたらまた評判をおとすだけなのだけど、まあ使えればそれでいいやと思っている。














235700