禅寺小僧

日々の記です。

修験道の山









ここは捨てられているゴミが全くない山で、道ばたにありがちな
空き缶とかナイロン袋のたぐいが見あたらないんで凄い。山を降りて
からそのことを話すと、信仰の山だからみんなそんな気持ちで登って
いるんでしょう。という話だったけれど、この地方ならではなんだ
ろうな。











ここも役行者がひらいた修験道の山で、神社がある。
神社の境内には鐘があって、明治の神仏分離まえにはこの山のあち
こちに6つの鐘があったが、取り外されてしまい、いまはこの鐘のみ
となっています、という説明書きがあった。かつては山中のあちこち
に坊があったんだな。













子供の頃、友達といっしょに鷲山(じゅうざん)という山に遊びに
いったもので、ここも修験道の行場で、滝があり、気分的に90度
のツルツル一枚岩に鎖がぶら下げてあり、足元にはササユリが咲い
て、野生の甘茶も生えている夢のような場所だった。残念なことに
ササユリは絶滅したらしい。
そこの行場は頂上に寺があって、仏教寺院だった。法衣を着ている
のを見たことはなかったけど、いい住職がいて、ジープを一台もって
いた。ふつうの車ではすぐ潰れるからこれにした。と言っていた。


あまえ、ここの坊主にならんか?
肉が食えへんから、イヤじゃ。
夜になったら、だあれもいいひん。そんなんみんなが帰ってから、
食べたらエエやないか。。


とか言ってくれていたけれど、いま寺に住んでいるとはねえ。不思議
ではあるけれど。独りで落葉を掃いていた、ほんとは偉い位をもって
いるらしい和尚はもうあの世に行っておるだろな。薪のストーブを
焚いていた。たしかあそこも後醍醐天皇と関係があった。天皇
修験道となんか関係があるのだろうか?よくしらないんだけど。
大きくて、淋しい、寒い岩の山であったけれど、たった独りで守っ
ておられた。
夜になって頂上行ってみい、雄琴のネオンが見えるぞ。
子供には雄琴がなんのことかわからんかったが、山から街の灯りが
見えるからといってどうってことはないんだけどな。













修験道は不思議だねえ、神社になったり、寺院になったり、でも本体
は岩山そのものがご神体で、そこに分け入ってゆくのが、修行でもあ
り、還ることでもあるのだろうな。
この山を含めて3つの山に登ったのだけど、ここには大きくて、深か
った。大きいものがありますよ。やっぱり昔から沢山の人が修行し
ていたからんだろうね。今もたくさんの人が登りにくる。