禅寺小僧

日々の記です。

Drifter










修行道場にいたころ、一風変わった上単さんがいた。
越後の良寛さんにあこがれて僧侶になった人で、仕事を辞
めてジープで旅をしている最中に、朝日新聞の記事に管長
さんの記事があって、その最後に雲水(修行僧)の指導も
しておられる、とあったのを読んでそのまま京都の寺まで
乗り付けて、玄関に立ったままで、ごめんください、あ
の、雲水になりたいんですけど、と言ったとき、頭はアフ
ロヘアーだったという。寺うまれの人はどちらかというと
責任感の強い人が多くて、修行に来たのも生まれた寺の跡
継ぎをするため、村のためという使命感をもってきている
人が多いから、厳しいことでもしんどいことでも乗り越え
ようと奮闘する、がんばる。ところがこの人はやっぱり自
由人の匂いがあって、世の中苦しみなんだよね〜。でも苦
しみに逆らったらもっと苦しいから無抵抗主義でいこう、
ナンチャッテ。悟ったらあとは淡々と暮らせばいいと、お
釈迦さんも言ってるんだよね〜。とかうそぶいていた。ほ
かの修行僧より年齢を重ねてからの出家であったことや、
出家にいたる道筋で多くの、大きな悲しみがあっただろう
とは思うのだけど。











もちろん真面目な先輩たちは彼の言動を嫌って、神聖な道
場から追い出しにかかるのだけど、自由人の上単さんは結
果的には、10年以上も道場に在錫して修行をつづけた。老
師から、フン、居ついたな。と言われ、私はイヌですか!
と言っておられた。あるとき話をしていて、何で坊さんに
なったのか?という質問に、一生旅をつづけていけそうだ
から。と答えられた。僧侶は住職というように、寺に住む
ことが職のようになっていて、むしろ寺に留まって、寺の
維持管理をすることを期待されていて、なかなか出歩けな
い。だいたい和尚さんの趣味っていうのは家に居ながらに
いしてできるものが多いような気がしている。現実は旅と
は無縁なのだけど、心の中には身ひとつで旅から旅へと暮
らしてゆく諸国行脚の僧侶のイメージがある。自分自身も
そうだったから。寺に育ったわけではないから、坊さんが
ふだんどんなことをしているかなんてことは皆目わからな
かった。偉いですね出家されて、と言われることがあった
けれど、むしろ社会からドロップアウトしてしまっただけ
のことだった。社会で真面目に一生懸命、努力して仕事の
スキルをあげてゆけば、みんなの役にたてて社会の一員と
して認めてもらえる。仕事をつづけていればそうなるはず
だった。だけれども自分から辞めて、寺に入ってしまった
のには、旅の病のことがあったろうと思う。漠然といつか
社会からはじかれてしまう気はしていた。旅に生きれるの
かと思ったところは、旅に出れないところだったけれど。
もう汽車は走り出していたのだった。







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