禅寺小僧

日々の記です。

親切心









おい、親切心が足りないんだ。
といつも師匠にいわれていたと、立派な和尚さんになられた方の
話を聞くことができた。中学のときにお寺に来て、お寺から学校に
かよわれた方で、暗いうちから全員本堂でお経をあげているうちに
台所係がお粥を作って、お経が終わりと同時にお粥の準備ができて
いて、そのあとはみんなで掃除して、その間に和尚さんが弁当を作って
くれて、それを持って学校に行く。帰ってきたらその日の晩御飯当番とか
風呂焚き当番とかをしていた。と仰っている姿は若いんだけど、なんか
やってきたから持っているようなどっしりしたものがあって、立派だったな。
そんなふうに一緒になってしてもらったことはなかったから、いいな、
とは感じるけれど、まあ人それぞれ、持って生まれた徳もあるのだろうし、
自分のことはこれで良かったんだろうよ。
自分で自身を確認しながら、見てゆけ、ということか。













親切の親は父母のことではなくて、自分のことだ。手紙に親展とあれば、
自分でひらいてください。ということだ。と教えられたのだと。
自分を切る心が足りない、とは骨惜しみするな、自分を甘やかすんじゃなく、
もっと馬鹿になって一心不乱にやれ。ということだっただろうか。
そんなことを続けてきた人には、土性骨の坐ったへこたれない人がなんで
でてくるんだろう。