禅寺小僧

日々の記です。

喫茶去





趙州禅師のところに二人の修行僧が来た。


「前にもここに来たことがあるか?」
「来たことがありません」
「喫茶去」


もう一人の僧に趙州がたずねた。


「前にもここに来たことがあるか?」
「来たことがあります」
「喫茶去」


院主が師に尋ねた。


「前に来たことがない者に『喫茶去』とおっしゃり、
前にも来たことがある者にも、『喫茶去』とおっしゃる。 なぜですか?」

 
「院主さん!」
「はい。」
「喫茶去」


という話しで院主さんは悟るところがあったのだけど、
この喫茶去という言葉がいろいろに解釈されていて、
代表的なのは「まあ、お茶でもおあがり。」という意味です
ってことになっている。
しかし仏教を求めて修行に来た人に対するのと、
自分の家にお客さんで来られた人に対するのとでは
だいぶ感じが違うんじゃないかな。
もちろんお客さんに対しては、
「まあ、ごうろうさん、お茶でもおあがり。」
でいいと思うのだけど、和尚さんは”ここ”に
来たことがあるのか、って聞いてるわけで、その次の人にもそう言ってる。







なんのことかわからん院主さんに、
「院主さん!」
「はい」
「喫茶去」
ここで院主さんは趙州和尚の「ここ」がわかった。
「ここに来たことがあるか?」
のここっていうのをわざわざ和尚は喫茶去、お茶を飲んで行け、
という言葉で示してくれていたのだけど、最初の修行者と
二番目の修行者は気がつかなかったんだが。