禅寺小僧

日々の記です。

十仏名







 清浄法身毘盧舎那仏
清浄つまり空そのもの、真理としての大日如来(身には身体という意味と同時に集まりという意味がある)


  円満報身盧遮那仏
円満(仏の性質をすべて備えている)仏の本体である大日如来


  千百億化身釈迦牟尼仏
千百億のたくさんの化身の代表である釈迦牟尼仏(現代仏の代表)


  当来下生弥勒尊仏
将来地上に下りてこられる弥勒仏(未来仏の代表)(いつもは弥勒菩薩と呼ばれてるけど、菩薩は現代の修行者なので、ここでは未来仏として)


  十方三世一切諸仏
東、西、南、北、東南、南西、西北、北西の八方と上方、下方、という空間および、過去現在未来の時間のなかのすべての諸仏(いちいちあげだすとキリがないから一切の諸仏でまとめてる)


 大聖文殊師利菩薩
もっとも聖なる、最も古くに覚ったブッダである文殊さん(文殊さん以後は悟りを開きそうなめぼしい人を文殊さんがスカウトしてくるようになってます。お釈迦さんもそのひとり。そんなわけで坐禅堂にもおまつりしてます


  大行普賢菩薩
もっとも実践・修行を重んじられる普賢菩薩


  大悲観世音菩薩
もっとも慈悲を重んじられる観世音菩薩


  諸尊菩薩摩訶薩
さとりの智恵としての菩薩、慈悲としての摩訶薩


  摩訶般若波羅蜜
大いなる偉大な究極の智恵











華厳経から、ご飯のときに唱える十仏名の話になって、なんでご飯を食べるまえに十仏名をあげるんかいなって、ことになった。ご飯そのものが世界である、宇宙なんだっていう感覚があるのかいな、一粒米中無尽蔵みたいな世界観とかあるんやろか。なんて話してたんやけど、実際には江戸時代に黄檗宗隠元禅師が中国から持って来たんですよ、と教えてもらった。エッそうなの!全然知らんかったわ。臨済宗の伝統的なもんかと勝手に思ってたんやけど、そういわれるとなるほどねえ。その当時、臨済のほうが昔ながらの修行してたのかと思いますけど、隠元禅師が中国の本場から来たというのでみんな右にならえ!になったんじゃないですか。木魚なんかも臨済ではそれまで使いませんでしたしね。黄檗宗ですと、禅に念仏や密教が混ざってますし。それで十仏名も禅宗っぽくないんだな〜。


そん時黄檗の和尚さんはいなかったんで、今度誰かに会ったら聞いとこう。
















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