禅寺小僧

日々の記です。


 本堂の縁側で坐禅している人を後ろから眺めるとき、
ただじっと坐っているだけなのに、その静かで安定した姿に
魅力を感じてどれくらいになるだろう。
難しいことではなく、誰にでもできることだし、
ただじっとしているだけで、何かをしているわけではない。
何かができるから、何かを持っているから魅力的という人は
世間に沢山いるけれど、ここは何もなくても人間の魅力を
感じる空間でありつづける。
静かな佇まいと一つになって、後姿が、背中が、小さな声で
語かけている。


 かれこれ、10年以上坐禅をつづけてきて、貴重な時間を
浪費してしまったが、自分の土台の一部を作ってくれた。
坐禅修行はただただ脚の痛いのをガマンし、つらいことに
堪えたから修行だったのではなくて、節目節目に自分自身の
小さな発見があったから淡々と続けてきたのだ。


 寺へきて、寺の生活体験をしてみたいという希望があっても、
寺の敷居はなかなかに高く、
「将来僧侶になりたい、というなら本格的に指導もするが、
ただしてみたいというなら、エエ加減なことはしません。」
と和尚さん方はおっしゃるけれど、求められているのは
僧侶になることではないし、そんな深いことではないんじゃ
ないだろうか。


 禅仏教をワークショップにしてはいけないような気もするし、
本格的ではないだろうが、自分の身体で感じられること、発見が
あれば、という思いで今まで座禅会でしてきたことを書き綴って
ゆきます。


 一週間に一度ぐらいの頻度でアップしてゆきます。