長閑であるものを。
そんな訳で、光が射している敷瓦のところで、
「ここで、箒を振ってください。」
というリクエストなので、そうしてあげた。
あと、参道を掃きながら歩いてゆくところ、とか。
けど、庭を掃くっていうシーンは最後までなかった。
聞けば、今も、昔のままの建物に住んでいる人を取材している。
ということだったので、
「ここの庭の石組みは桃山時代のままですよ。
狭い庭に大きい岩をおいたり、白砂を敷いたりするのは
案外、昭和に庭を変えているところが多いのですけどね。」
と説明したが。
本堂前の庭にはまだ日がさしてなかったから、フォトグラファーとして
陰影のないところは撮らなかったのかもしれないし、
祖国をでてくるときから、白砂の上の絵を撮ってくるように言われていて、
探していたのかもしれない。
「次は桜を撮らないと。」などと言ってどこかにいったけれど、
メディアの取材というのはどうしてこんなに慌しいのかね、
庭のことなどどうでもいいのだけど、これでは
事実をじっくり見る、余裕などなく、ただ最初の出発点にあった
思い込みを裏付ける資料を集めるために取材するような
ことになりはしないか。
庭を掃いたり、廊下を拭いたり、というのは、
もう、自分にとって、仕事の意識はなくて、
瞑想とか、体操の一部のように感じている。
落ち葉で一杯の庭を掃きながら、禅寺の庭のことを考える。
「自分にとっての禅庭って?」
昭和時代には作庭家と称する人たちが、今、人々がこれが禅寺の庭
とパッとわかる庭を作った。それは観光にはうってつけの庭だけど、
それと同時に彼らは本堂前の、古くから伝わる庭を破壊したわけで、
今は作庭と庭の破壊との両方の面があったのではないか。
彼の名声と引き換えに、本堂は、古い、落ち着いた庭を失ってしまった。
長い眼で見ればどうなのだろうか。
禅の庭などといって、わざわざ「禅風」に作るようなことをしなくても、
そこの和尚さんが石をたてたのを、代々、和尚と檀信徒で守ってゆけば、
それで充分なのではなかったろうか。
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