禅寺小僧

日々の記です。

ビルマ紀行2001





2001年の春、別件で来た人が玄関で、
「今度ビルマ行くけど、行く?」
「行きます。」
それだけのきっかけだったけれど、出発の二日前に初めてデジカメを
買った。ソニーのDSCーF55。ニコンやキャノン製のカメラ屋さんが作
ったデジカメもあったけれど、ビデオ屋さんの作ったのにした。カメラ
屋の作ったのはフィルムカメラをデジタルにしたようだったが、ソニー
のは画面を確認するモニター以外しかなく、カメラ屋製には必ずついて
いる目で覗くファインダーが無いのが、よかった。







作画するのが本意ではないような、わずらわしいような、気になっていた。
だからファインダーがないことで、カメラ感、写真観が変るんではないか。
もっと気持ち的に楽に写真を撮りたかった。
それまで主力として働いていたのはヤシカマット124Gという先輩から譲
ってもらった二眼レフで、腰だめのウエストレベルで撮れるのがよかった。
ソニーもレンズ部分が回転してウエストレベルで撮れるが決めてで、無い
お金をはたいて買った。新品で買ったのだけど、どこの店で買ったのか、
サッパリ思い出せない。







タイのバンコクには行ったことがあったけれど、そこから飛行機で2時間の
ミャンマーは初めてで、ヤンゴンで飛行機を降りて滑走路に立ち歩いてバス
に乗ったところから、発展途上国の空気が濃厚でだった。日本でスクラップに
なりそこなった懐かしい車達が咳き込みながらも走っていて、死んだ筈の人が
生きていた、みたいなことになっているのだった。社会資本は非常に貧しい国
だし、ツーリストの最低強制両替額の300ドルをかえると現地紙幣のチャットが
小さめのスーパーの袋に一杯に膨れ上がるし、しかも出国には再両替できない
という国だったが、市場には食料が沢山あり、東南アジアはどこでもそうだけど
食べ物もうまかった。







戦争中、京都からも祭兵団の方々がこの地でインパール作戦に参加され、連合国
のイギリス軍と刃を交えられた。負け戦で犠牲も多く供養塔が建てられている。
ささやかながら一巻の経を手向けようと、奥地の方まで陸路、水路、旅をした。
そこで出会った人たちはたいてい例外なく貧しく、身一つのような人ばかりで
あったけれど、子供は泥にまみれながら、はしゃぎ回ったり、大人に混じって
働いていたりした。なんだかそんなことが、嬉しくて。
またたいへんな仏教国で、買い物帰りに籠をさげたままお寺によって線香を手向け
お参りをしてゆくような国だった。お寺の境内や参道に入るときは誰でも靴と靴下
を脱いで裸足になるという習慣だけど、なかなかイイと思った。


昨今デモでニュースを賑わせていたが、軍事独裁政権で言論の自由のないのこの国
にも、街角や村には笑顔と歓声があふれていて、きっちり隅から隅まで何でも決め
られているような日本とはだいぶ違った。




 
笑顔