禅寺小僧

日々の記です。

港町で









昨日は雨の駅で落ち合い、車で拾ってもらって山の中の寺まで送ってもら
った。昔から人が住んでいたんだろう、この辺の山はあまり深くない。
でも畑の土をみると痩せ土で、なんかちょっと淋しい気がする。











京都駅ついたとき、今回は沢山お金を持ってきたと思っていた。が、新幹
線の切符を買ったあとでそうではなかったわと、気がついた。いつもそん
な思いをしているように思う。家を出るときには沢山もっているように思
うのだけど、切符を買うと残りのお金がほとんどない。キャッシュカード
とかクレジットカードは持たないから、財布の中にあるだけ。新幹線の車
内で、ギリギリやなあ、何も買えんなあとか考えている。












遊びに来たのではない。たいへんお世話になった方が亡くなられて、その
お参りによせていただいたのだ。何故お寺に入られたか、その前はどうさ
れていたか、夜半に焼酎を嘗めつつ、ご本人から伺ったことがある。波乱
万丈の人生を歩いてこられたのだなと。ご遺体は献体に出されたので、本
堂にあるのは白木の位牌だけだ。今日はお葬式ではなくて、有志でお経を
あげにきたのだけれど、そんな中に加えていただけたのももったいないこ
とだった。生前、見られていたであろう景色をながめていた。お参りが終
わって、
「この寺ははじめてですか?」
と声をかけられた。











雨の中を山を降り、駅前のホテルに泊めてもらう。港町だった。ここへは
2、3ど来たことがあった。自転車旅行の時は晴れていて、夏だった。も
う一度なにかのときに立ち寄ったときは雨が降っていて、アーケードの商
店街の中で昼食を食べた。一人だったとおもう。











朝起きると晴れていて、バイキングの朝食を食べるともうすることがなく
なってしまった。山の中腹にある志賀直哉が何ヶ月が暮らしたという長屋
まで行ってみた。父親との仲が険悪になってここまで逃れてきららしいが、
海に向かって斜面にたつ南向きの、日当たりと風通しのいい、空気の滞ら
ない気持ちのいい下宿みたいな家だった。他に誰もいなくて、下の造船所
や向かいの島を眺めていた。管理人のおばさんが「小僧の神様」の朗読テ
ープをかけてくれている。ああ、朗読テープもいいもんだね。今まで知ら
なかった。帰ったら図書館で借りて聞いてみよう。なんか新しい発見があ
りそうな気がした。











山を降りて、踏切を渡る。市役所の前の250円の弁当屋で弁当を買って
カンカン照りの防波堤の上で食べる。すぐ目の前で小さな船に乗って二人
釣っていて、あちこち場所を移動していたけれど、見ている間には小魚一
匹釣れなかった。アーケードを歩くと帆布の店があった。そういえばこの
あたり出身の後輩が帆布とかジーンズの町だって言っていたな。駅前の文
房具屋でクロッキー用換芯鉛筆というのを買った。16時35分発のバス
に乗ると車内はガラガラだった。本を読み始めたけれど、眠ってしまう。










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