禅寺小僧

日々の記です。

厳しい修行


検索をかけてみたら、禅ワークショップというのが
でてきました。同じようなことを考えている人が
いるのが解かって、笑みがもれました。
しかも、本山系のしっかりした公式Webサイトにのっているので、
禅寺小僧などという非公式サイトでの話しではありませんから
こころ強いものがあります。内容はよくわかりませんが
ワークショップという会を作って参加者を募集しておられます。
これはたまたまWeb上で見つけただけですが、
同じようなことを考えておられる方が、沢山いらっしゃると思います。
一人の人が考えたことが、だんだん拡がってゆくこともあるでしょうが、
たとえ素晴らしいアイデア、思想でも拡がりがないときもあります。
そんなときは時代を先取りしすぎた。と評されるますが、
時代が動くときはむしろ同時多発的に、アイデア、思想が
生まれつつあるような気がしています。


右も左も判らないまま、本格的な道場に入ってしまった、
10数年前、はとまどいました。上の人の言っている専門用語も
わからないし、長時間の坐禅なども経験したことがありませんから、
ただ、ひたすら、脚が、痛かった。実のところ、修行というより
ただ堪えていた、のが実情で、しかも、
「しっかり坐らんか!」
と言われるだけなのでどう坐っていいか、がわからなかった。
「じっとしてろ!」
と言われるだけでしたから。


寺で生まれた人なら子供のころから、もしくは学生の頃から
修行をしておられるので、最初から坐禅ができるのであり、
指導としてはそれだけでよいけれど、素人には難しいもので
ありました。堪えるだけの坐禅であったわけですが、
そのうち、足が痛いのが、脚へ、次は腰へ、その次は背中へ、
さらに首に、という具合に痛い箇所がどんどんひろがり、
上に上がってきたようです。ハタからみると坐禅などというものは
ラクそうに見えるのですけれど、長時間となると話は違います。
坐り方がしっかり出来ていないと、もうラクとはほど遠い世界に
なってしまいます。身体がしんどくて、心の修行どころではない。
同じことの繰り返しの、そんな毎日。


とうとう、堪えかねて、ひとりの和尚さんを訪ねました。
当時、「和尚さんが病気にならない理由」という本を出して
おられた薬師禅寺さんで、以後、和尚さんからはいろんな事を
教えていただくことになった。
身体のこと、呼吸のこと、心のこと。
和尚さんが、
「道場は根性一点張りだけど、
根性だけで修行すると、身体を壊すよ。」
当時ガチガチの修行中だった身には、思わぬ一言やった。