禅寺小僧

日々の記です。

今年の酒

 Parts氏とは学生のときからの付き合いで、その当時は
クラブのボックスで、御所の芝生で、下宿で、山の上で、など、
たいていは店でないどこかで一升瓶かかえて飲んでいた。
自転車に瓶をしばりつけて、鴨川の満開の堤防の上を、
いい枝ぶりを見つけたらしばらく一杯やり、
「じゃ、そろそろつぎ、行くか。」とやったときは愉快だった。
空は青く晴れていた。広々しておいしい酒であったな。


 昔がそんな付き合いだし、二人ともこれといった趣味もないし、
会えば奴はいつも、飲みたそうな顔をしている。だから奴が寺に
着たら何回かに一回はきっと、飲みにゆく。
若い頃はつまみもなしにひたすら飲んでいたのだけれど、ちょっとは
懐もあたたかくなり、ついでに酒にも弱くなったので、たいていは
駅の裏の路地の奥の庶民的な店に連れていかれる。非常に良心的な店で
家族でやっておられる。下ごしらえがいいのと、その日の新鮮ままで
出してもらえるのと、タレがどうしようもなく旨いのと、雰囲気が最高なのと、
あと、これが大事なことであるが、メニューにはでていない、
「白」と「透明」があることである。これを頼むとビールのジョッキで
出してくれる。その日の出来によっても多少のちがいはあるものの、
上品な甘みにつつまれた爽やかな酸味を楽しめる。アルコール度数は
よくわからない。透明のほうがもうちょっと甘い。どちらかというと
白が好きだ。
「お代わり!」
っていうと、ヤカンを持ってきてドバドバ注いでくれる。
もちろん料理との相性は抜群である。


 それ行け、忘年会だ、と理由をつけてみんなで出かけ、
「あれとこれとそれと、白。」と注文すると
「無いんです。」お兄ちゃんがいう。
「12月から、出せなくなったんです。」と。
アッ気にとられて、体の中の白が入るべきドラム缶が転がり落ちて
ガラガラ風に吹かれて地面を走って行った。
「もう、飲めないのか。。。」
その日はジョッキに一杯氷をもらって、瓶で焼酎を頼んだ。
いままで、おいしい飯を食いにきていたのと、それ以上に
「白」と「透明」を飲みにきてたのだ、と痛いほどわかった。
店を出て、隣の食料品店に行き、オバサンにその辺の事情を
聞いてみると、税務署との10年ごしの折衝で、とうとう出せなくなったらしい。
今まで気がつかなかったけれど、日本は現在も禁酒法がまかり通っているのだった。
庶民の小さな胃袋に日本政府がのしかかってくる。
フランスではワイン作ったりするのは自由なことのようであったなあ。
両親がリタイヤして、自分の納得するワインを造りたいから引っ越した
なんて話を聞いた。
酒っていうのはロマンの液体であって、どこかの工場の清潔なタンクで
製造されたものと、家の片隅で醸したのと、どちらに興味をそそられるか
というと、なんとなく後者である。酒は米と水からできているのだ。
けれどそれだけではない。


つづく