禅寺小僧

日々の記です。

すべて、お終い。



          
      
     
   
   

学問をしているわけでもなく、立派なことを日本でしているわけでもないから
 「何で、お前が行ったんや?」と誰もが思う。
しかし、少しはこの地の人々と交わって、
いいこともしたんではないか。
仏教を通じての日本文化の紹介と交流が少しはできたんではなかろうか。
旧東ドイツでは、ドイツ語とロシア語を勉強したらしく、
どうせ英語は通じるやろ、という思い込みはみごとに砕かれる。
 "No speaking English."
のセリフを初めて聞いたときは驚いた。  
ただし若い人にはカタコト語でも通じます。
ありがたいことでありました。
  
   
   
   
   



   
   
   


今回は3人で行ったこともあって、正式な、行事という感じやったんやけど、
座禅を教えて、やってもらった。
 「これで座禅はお終いです。」と言ったら、
アー、やっと終った。という感じでおじさんがバタリと後ろへ倒れて仰向けになった。
チラ、と見やると、
「ヤバイかな。。。」とゆるゆる起き上がってきたので、
そちらに行くと、また坐りはじめた。
 「いいよ、いいよ、寝ころびな。」と仰向けにして整体してやると、
ドイツではこんなことする人はいないのにか、ラクになったのにか、
驚いておった。次々に俺もやってくれ、私もやってくれ、というので
直してあげたら、
 「あなたにはいろんな事がわかるようだ。あなたは凄い人ですね。」
といわれた。複雑な心境であるな。
    
    
   
   


   
     
    
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 だいたいこちらの人は股関節が硬い人が多くて、
脚を組んで座禅できるなんて人はほとんどいないのだった。
胡坐さえかけない人だって多い。
そんな中で、日本式の正式なやり方をひたすらつづけるのも
みなさんには酷なことだった。
もしも、次回が、何年か先にあって、しかも一人だけで訪問
することができたら、その場の人にあわせたやり方もしてみたい。
そしてゴザやなんかを持ち出して、木陰で、遠い風景を眺めながら
というのも、気持ちよさそじゃないの。
  
   
  
 
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