禅寺小僧

日々の記です。

教会にて

hekigyokuan2006-09-12

      
 町の中心広場のすぐ後ろの牧師さんが、
掃除、座禅、食事、石運び、休憩と一緒にいろいろなことに
参加してくださった。日本の牧師さんは知的なイメージやけど、
一緒に活動する、ということがないから、ドイツに来て
他宗教の牧師さんと話したり、黙ったり、大汗をかいたりできたのは
またとない体験やった。
意外とドイツのほうが宗教者同士の垣根が低いのかもしれん。
それで、
 「日曜日のお祈りのとき、席の隅っこでいいですから、礼拝させていただけませんか?」
ときいたら、時間が九時半からだったのでこちらの予定と引っかかって叶わなかった。
 「そのかわり、月曜日に一緒にお祈りしましょう。」
ということになった。  
                            
                          
                           
                          
      

                               
                         
                      
          
                                
教会の入り口でみなさんに迎えられて、握手する。
なんと今日のために特別に7人の人が集まってくださっていた。
牧師さん一人でお祈りされるのだとばかり思っていたのが、
近隣の教会の牧師さん3人と、聖歌隊の方3人とが並ばれる。
荘厳な朝の光につつまれた、700年の歴史があるという、 
この教会の一番古い場所でキリスト像にむかい半円状になって聖歌がはじまった。
祈りとも歌ともつかない独唱が後方のドームにとどいて、残響を波状に伝えてくる。
残響が限りなく消えゆく時間をじっくりと味わう。次の人の独唱、その次の人の独唱。
合唱。
意味は全くわからない。
けれど、この地に暮らした人々の歴史と戦いと悲しみと祈り
が込められているにちがいない。                    
                               
                                
                                
                                  
                         
 
                            
                               
                            
                               
「よかったら、お経を上げていただけませんか?」
「ええ、もちろん。ありがとうございます。」
                          
「マカハンニャ、ハラミタシン、ギョウーーー」   
                           
畳の上でなく、教会の石の床で、初めて仏教のお経をあげる。
キリスト像に向かって。
                              
終ってから、いろいろ質問を受ける。
                             
「どんなふうに歌っているのだ?」
「うん、うん、わかる、わかる。それだったら我々と一緒だ。」
 
堅い握手。
             
「よかったらウチの教会にも来て、一緒にお茶をしないか?」
             
ということになった。
                             
                                 
                        

                       
                        
                       
その人の教会にお邪魔する。
田舎の、ほんとに小さな、修理中の痛んだ教会だった。
自宅のほうも築250年だそうだけど、こちらは修理が終っていた。
初めてこの町に来たものを歓迎してくださる。
家は3階建てで案内してもらっていると、
初めてドイツの家庭によせていただいた、という気がしてきた。
紅茶のポットをもった牧師さんが、
「田舎の教会で、日本から来ていただいたみなさんと、お茶をすることが出来て光栄です。」
と誇らしげに挨拶してくださったときは、なにか、心に響いた。
                            
                              
                                    
                         
 
                               
                                
                             
                       
                    
人の縁の不思議さ、ありがたさ。
澄んだ光、ちよっと肌寒いくらいの風。
              
見送られて表に出てくると、
庭のテーブルのタバコをすっている女性がいて、
「ここは私の夢の場所です。」
と,教えてくれた。