禅寺小僧

日々の記です。

hekigyokuan2005-07-21

「自分の仕事に誇りが持てない、のは、不幸なことだ。」と言われたことがあって、なんでかしらん未だに憶えている。その人は誇りを持っておられたのだろうと想像するけれど、それから一年ほどして亡くなってしまわれた。旋盤をブンブンまわして部品を作ったり、雑誌に載せる写真を撮ったり、モノを売ったりということは、こりゃ仕事だわな。自分のしていることが他人様のお役に立つ、ということだろうし、そこに誇るべき何かもあるのかもしれない。しかし、世の中には何をしているのかよく分からん人も沢山いて、禅寺小僧さんなんかもその類なのかもしれんけれど、そんな人は不幸な人なのでしょうか。案外そんなこともないけどね。自分なりにボチボチやってますし。ちかごろは暑いけれど朝から庭掃除してゴミを畑に持ってゆく。穴ボコにフゴを引っくり返して帰りがけにその辺になっているのをちぎって、口に入れる。料理もへったくれもないけど口を動かしているとなんとなく落ち着いてくる。畑にできているのは旬のものばかりだから、「100円で売っているもンばっかりやん。アホちゃうか。」と見られてしまうが、なんでもお金に換算して計るようにモノをみるのは如何なもんかね。いろいろな会社に関わっていたころ、業績は数字で出てくるのだけれど抜け落ちてしまうものも多い、と感じていた。数字だけだったら誰でも見れるし、AとBとを比較することもできる。でも、そこから先のことになると誰にもわかるわけじゃない。物体としてもキュウリは儲けにはならないけど、腹の足しにはなる。今日のいのちを保ってくれる。それだけでも値打ちはあるとおもうのだけど。                                                                                                



                   

                                  
                            
                            
 安い食べ物を買って食べるほうが経済的というのは承知しているけれど、そればかりだと何か生きていることにもの足りなさを感じてしまうことはないか。ビックな仕事をもってそちらで充実している人には全く感じないことだろうけれど、体を動かして餌を探しに行って獲ってくるのが好きな性質で、自分で獲ってきた貧しい食事ならいくらでも耐えれるけれど、買ってきたもので耐えられるか、というと正直なところ自信はない。なんでだろうか。                                       

                                           
                                       
                                     

                               
                                           
                                          
                                                 
 せ。