禅寺小僧

日々の記です。

道楽

 なんだかんだ言ってもやっぱし食べるというのは人間の根源の一つであると思っとります。生物としてやってゆくにはどうしても外からエネルギー源を取り込まないと動けないし。なんせまだまだ自分でエネルギーをつくれませんので、、。できたら霞を食って生きてゆけるのだろうけどそれはそれで、も一つ、悟り済ましたようで頼りない人生ではあるな。人からグルメだねえ、とも言われたことないけれど、食べることには情熱賭けるねえ、とはいわれる。たまに。この間も庭に成っているスモモの実を睨んでいるうち、こいつを鍋で炊いてジャムにしてやろうという思いがフツフツと沸いてきた。スモモは枝にたわわになるんだけど、どれもこれも一斉に熟すんで食べきれないんだわ。それでジャムはどうやろ、というのが思いついたわけ。リンゴ、ナシ、イチゴ、ミカン、その他その他の店で売っている果物は悲しいことに甘すぎる。世間的にはそれでウケるんだろうけど、甘酸っぱさを愛する者から見れば近年果物の改良が進み、本当に甘くなって、砂糖みたいな甘さになっちまったのは残念無念なんだわ。蜜柑のちょっと酸っぱいのなんか大好きだったんだけどなあ。フレッシュでさ。そこへゆくとスモモは未だに甘みと酸味をブレンドしている、ちょっと野生味の利いてきっりとしていて教養もあり、それでいて世の中いろいろあるわよと覚悟もできたノーブルな姫という風情であって、ひとり惚れ込んでしまう。今年は後半毎日雨になったせいで無茶苦茶に糖度があがるということはなかったけど、この糖度と酸味があれば何も入れずにただ炊くだけでジャムになるんじゃないか、という観念が頭から離れなくなった。ジャムを作るときは、砂糖を入れてレモン汁をたすのが定石のようだけど、スモモはそれだけで完璧にジャムになる要素を秘めているんではないか、、。こいつを炊いてさらに濃厚になってきたらそのひと匙はどんな高貴な味わいなのだろうか。朝から庭に降りて鍋いっぱいのスモモをちぎり包丁で半分に割って一つづつ種を取り出して火にかける。で、完成してみたら、やはり、強烈な酸味が口いっぱいに広がる。酸味は強調され、増幅された。その後深い甘みがやってきた。予想以上の大成功。朝早よからのひとから呆れられそうな事業はめでたく終わった。深い充足をもって。その後みんなにやっぱし砂糖を入れんかったら長持ちしない。といわれてスーパーにザラメを買いに行った。ジャム売り場にも行ってみたけどスモモのジャムは売ってなかったな。
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