薪割りと五右衛門風呂
京はいい天気だ。花見真っ盛りだな。
あちこち人出が多いだろう。
最近一人で何をしているか、というと薪割りと五右衛門風呂に凝っ
ている。寺の風呂はいまどき珍しい五右衛門風呂で、ふつうの風呂
が横に焚口がついていて、浴槽から外にでた水があったまって、
上の穴から熱い水がでてくるのにたいして、
五右衛門風呂は水の入った浴槽をそのまま下からあぶりたてるんである。そのため浴槽の
下はもちろん、横のほうまで熱くなってしまう。それで入るときには下に敷板を沈めて熱
いところがあたらないようにして入るんだ。ボイラー式ではなくて、ただただ原始的に下
から焙るだけでなんだか遅れているように感じるんだけど、慣れてみるとなかなかいいと
ころもあって、40度なら40度のお湯にただ浸かる、というだけではなくて下から焚く
というところが優れている。なんというかな、お湯だけじゃなくて、回りからあったまる
んだ。カラダの芯まで。地獄で釜茹でにされたらさぞかしこんな風だろうな、と思えるけ
れど、汗タラタラ、ポッカポカ、薪の煙の匂いもあって水がゆったりお湯になった、とい
う感じがするな。チャプチャプいう音もこころなしやわらかくやさしい。
この間から風呂薪を割って菜の花の前に積んだ。趣味は菜の花栽培と薪割りみたいなもの
だけど、というか、菜の花咲かせていると畑仕事の下手なヤツとおもわれるだろうけど、
菜の花が好きなんだから仕方ない。ひまわりや朝顔を育てるといっしょで、好きな花を畑
で育てているだけなんだが、畑はやっぱり食糧生産専用にしないといけないのでしょうか。
薪と菜の花が見れて少しニンマリしているんだが、仕事としてでなく、薪も割ってみると
案外面白い。空手で腰が入ってないといくらパンチがあっても相手に効かないのと同じで
感覚的に似たところがある。あるいは剣道での手の内の違いによって、切れるか切れない
か、破壊力の違いがあるけれど、それが如実にわかる。大きい薪は腰が入ってないと斧が
どれだけあたっても、まったくコタエズにそのままの形でいるけれど、腰の力をうまく斧
を通して伝えることだできたら、ぱかんと真っ二つに割れてしまう。狙い通りにいった時
の気持ちよさ。刀のつかみかたの事を手の内というけれど、これが決まっていると、斧を
振り下ろした瞬間、薪はきれいに二つに分かれて両方に飛んでいく。手の内が決まってな
いとどうも断面がきれいにならないようにおもっている。
ま、ささやかな楽しみなんだが。
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