禅寺小僧

日々の記です。

托鉢









最近の若者は山奥で修行する人が少ない、町に近いところで修行したがる者が多くて困ったことだとおっしゃる老僧がいらしたらしい。もちろん厳しく立派なことだけど、山奥にこもってしまったら托鉢できひんやん。いつもはみんなで修行していて、ある期間だけ一人になって山籠もりするっていうのならいいと思うんだけど。


お釈迦さんの時代は修行者は生産活動をしてはいけないことになっていた。自分で畑を耕して野菜を作ってもいけない。どうして食を得るか、托鉢をする。衣食住を自分で購わうんじゃなくて、他人からもらいなさい、ということなんだけどある意味もの凄く厳しいことだ。貰ったものしか食べてはいけないということは、貰えなかったら死になさいってことだ。


昔、京都の町中で托鉢していたら、通りすがりの人に、そんなことしてるヒマあったら働けよ!と捨て台詞を投げつけられたことがあったっけ。こんなことではアカンのやけどな。お釈迦さんの時代なら失格やね、人格と徳が無いのでしょうね。今は日本の仏教の修行道場内でも畑もするし、いろいろ仕事もする。でも薪割りでもなんでも仕事をしてしまうと差が見えてしまうんだよね。俺はガンバッテこんだけ薪の山作ったのに、アイツはちょっとしか作ってないやないか!何やっとたんや、とか。修行者の集団の中でこういう優劣をつけるのは、変なこだわりになってしまって、やっぱり修行に妨げになるしね。お釈迦さんはそんなことも含めて修行者が生産活動をするのを禁止したんでしょうね。そんな暇あったら座禅しなさいってことでしょうね。






317557