禅寺小僧

日々の記です。

逃亡

アジア

世間のいっさいガッサイがイヤになって、
そこから飛び出す。できればこの世界から飛び出し
たいのだけど、あの世にいく勇気もないからいちおう
社会から離れる程度になってしまう。居場所を定めずに
ふらふらフラフラしているだけで何をするわけでもないのだが、それが幸せだったりする。
社会を少しだけ離れて眺めるのが心地いい。いつだったか、西表島のカノカワというとこ
ろに世捨て人みたいな爺さんがすんでいるということだったが、村の中にも住めないし、
かといって山の真ん中にも住めるほどタフでないし、という心情がどこかにある。
できたら村のはずれの、そこから先には一軒も家がない、ところがいいんだが、
    
旅をしている間はどこにも住所も荷物ももたいから、気持ちよく生きられるんではないか
と期待してしまう。実際に旅に出てみるとそれはそれでシンドイものであるのもわかって
いるけど。はたからみれば気楽そうにみえる仕事でも、実際には楽でもなければ、簡単で
もない、というのも多いのじゃないかと想像するけど、「どんな仕事をしてもダメだから
坊主になりたい。」といってくる人が昨日も来た。やってみて、もしそれもだめだったら
どうするのだろう。と心配してしまうし、じっくり探せば何かあるんじゃないかと思って
しまうけれど、この世界のどこかに世間と山の中の丁度あいだの、山でもないし、町でも
ない、という場所があってもいい、とこころからおもう。現実の世間のなかで右往左往し
ながら毎日、忙しく、せわしなく、切なく生きているけれど、この世のどこかにそんな場
所があると想像できたら、なんとか生きていけるような気がしないか。ただの現実逃避、
眼の前を離れた夢想と笑われて、お前は自信がないからそうなのだ、といわれてしまうだ
ろうけれど、心のなかではそんな浮世離れした心地をどこかにもっているから今日もなん
とかしのいでいる。
      
知り合いの中にも四国や東海道を歩いて旅する僧侶がおられるけれど、そして我が身をふ
りかえればそんなことができないことも百も承知しているし、心の中では思っていても、
実際に社会に組み込まれてしまうと以外とおとなしいのも情けないけれど特徴だしな。
たぶんこのままなんとかやっていくつもり。