禅寺小僧

日々の記です。

文学者の死










こころとことばの講演だから行ったほうがいいですよ、って言ってもらったのだけど、興味ありそうと思ってもらってたんかな。会場の門跡寺の御前さまは前から存じあげてたけど、お寺には行ったことなかったから、いっぺん行ってみたかったしバイクでちょっと走って行った。


ぐるりを土塀に囲まれた境内に入ってみると、京都の中心部を通る大通りに面しているのに、時間も空間も違う別天地に迷い込む。調度品やしつらえに朱色の菊模様の錦織があったり、古い彩色の杉戸絵があったり、御所の文化で彩られた立派な御殿がL字型に建てられている。その間はすべて広大な庭。向こうに石を敷き詰めた枯れ川がながれて、苔の広い空間の一部にはススキがある。庭にススキを入れるときはたいてい小さく仕立てたりするもんだけど、ここでは大きいススキがそのままあって、手入れされた中にポンと山野が入っているようで面白かった。町の真ン中でこれをやるんだからね。


講演はフランス文学者の方が自我意識と文学について語られ、詩人の方が著名小説家の私生活などを話された。今の人ではなくてちょっと前の人らの無茶ブリを楽しく聞く。ある高名な小説家がどうして壮絶な自殺しなければならなかったという話に戻ってきたとき、もちろんいろんな説があるのだけど、近くにいたものとして、「あの人は自分が主人公になってしまったのですよ。自分で何かをしてそれを自分で書く。あるいは自分の写真を撮らせる。それであの結末だったのですが、楽になられたし喜んでおられたと思いますよ。ほんとうは文学の本質は語り部だとおもうんです。何かを横で見ていて、それを他の人にかたる語り部です。自分が主人公になってはいけません」


仏教の修行では自分が主人公になることを教えられ、主人公になりきる練習をするけれど、それがしんどい時もある。
なんかちょっと楽になったな。





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