禅寺小僧

日々の記です。

初めてあったのは18歳の頃











カメラマンのアシスタントの仕事をしてた。知識が生かせるのと、仕事は不定期に入るんだけどギャラはいい。景気もよかった。学生の目には大人の世界だった。花の雑誌の連載が毎月一回あって東京から編集の人が来て、京都の花師がそのときどきの場所で花を生ける。カメラが撮る。先生が文章を書く。先生は文章だけじゃなくて企画から携わっていて毎月いろんなところに行った。もういまは壊されてしまったけれど、夢野久作ドグラマグラに出てきそうな京大病院の病棟や標本や資料のつまった地下室。暗い部屋で死んででるような生きてるようなアングラ人形を作りつづける老人形師の家。「道、一を生ず!」と老子の思想?を言ってくれるのだけど、スタッフの誰もが理解できない、自称茶人の高級住宅地にある広い敷地の草むらのような家。
















その時はピアニストと神戸の丘にある古い女学院に行った。今は違うだろうけど当時は男子禁制だと聞いていた。パイプオルガンの礼拝堂で午前中の仕事を一段落して、キャンディ・キャンディの出てきそうな中庭で(ここの古い建物は全てヴォーリズの設計なんだ)本を読んでると「何読んでるの?」って先生が聞いてきた。「荘子です」って言うと、「そうジって濁るのが通だよ」なんて教えてくれた。文学青年だったな。アングラ、白虎社、中川幸夫メイプルソープ。演劇劇評、詩人。紙と本とフィルムと暗室。メディアもカメラもアナログだった。













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