禅寺小僧

日々の記です。

若いのにはワカラン










落慶式、晋山式だと寺関係の行事がなにかと多いですな、秋の気候のいい季節は。役目柄、西へ東へ移動の多い和尚さんが、ああシンドイよって言うたはる。鎌倉へ行って帰ってきて、次の日は九州へとか、一泊泊まりの九州から夜に戻ってきて、京都で一日仕事してまた次の日は九州へなんて考えるだけで、ああと思うのかも。そんなんだったら中の一日にもうひとる向こうでの仕事を入れれば戻ってこなくてもいいようなもんだけど、そんなわけにはいかん!責任感がお強いし、やっぱりそうでなかったら高僧にはなれないのだが、凡僧としての生き方もある。車窓からの吹っ飛んでいく景色を楽しみに眺めてるのだけだって素敵だ。車やバイクではなかなかこんな速度は出せない。列車に乗り込む前に本屋に立ち寄って、全く興味のない分野のホビー雑誌を一冊買ったっていい。指定席にすわってペラペラめくってるだけで、知らない世界に熱中している人たちの熱い思いが伝わってくる。駅について席を立つ頃には知らなかった一分野にちょっとだけ詳しくなってるという塩梅。究極は鉄道マニアになってしまえば、もう道中は乗っているだけで楽しくて仕方ないんじゃないか。退屈なんてありえない。もちろん風土記や紀行文なんかを読んで、行き先の歴史、地理、生活なんかを知ってから出かけるもいい。挨拶するときのネタにもなるし。興味をもって楽しみででかけるのと、仕事のためだけに義務的にでかけるのでは疲れ方もぜんぜん違うんじゃないか。はた目からは遊んでいるように見えるから、たぶん出世は逃すことになるだろうけど、まあ、それもいいではありませんか。本読んでなんとなく思ったことを向こうに行ってその土地の人に実際に、いろいろ聞いてみるのも楽しいもんですよ。嫌だなあと思うか、嬉しいなあ楽しみだなあと思うかの分かれ道は、自分の心のなかにあるものですよ。出かけるときには、やっぱり少しでも楽しみとか期待がないとね。今日はいい日になりそうだって。小さな旅でも大きな旅であっても。行き先がはっきりしなかったって別にいい。どこにたどり着くのかよくわからない道だって進んでく、不安と期待を抱きながら。誰にも会わない山道を進んで、峠をこえて村に入ったら、夕暮れにこんなに素敵なお堂に巡り合いましたよ。お堂があって、広場があって、樹があって、夕日があって。また桜の季節に立ち寄ってみたいなって思ってるんですよ。















  
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