禅寺小僧

日々の記です。

東へ











どこまでつづいてるんかなあ。
車が行きすぎる往来に立って考えるというよりは、夢想している。もちろん頭ではわかってる。1号線は大阪の梅田新道から東京までの日本で最初の国道なんだ。でも東京のどこへ行き着いて、終点がどこなんかは、知らない。東京へは新幹線で行った。名神新名神、東名、新東名、夜行バスで何度も往復したし、車で走ったこともある。けど、どこまで1号線を東へ行った?東へ行くなら草津まで一号線であとは8号線、21号線、19号線を辿ったのがほとんど。草津から東の1号線を土山、鈴鹿峠を越えて、亀山に入ったことがほとんどなかった。
走ってみっか。











晩ごはん食べて、京都を出たのが8時半。そこから道をたどって、12時半ごろ道の駅藤川にて仮眠。5時半ごろからまた走り出した。











走れるのは道の上だけなんだな、なんて昔、考えてたな。











茅ヶ崎を越えて、海辺の町で偉い和尚さんのお話をお伺する。お寺の坂を歩いて上っていると、和尚さんがやってきて、そのあたりの人たちに挨拶しておられた。偉い方なのに、偉そばられない。京都にはおられないなあと思った。位の高い和尚さんはお寺の中では偉い和尚さんだとわかって、僧侶同士のなかで尊敬されるけれど、こちらの和尚さんは質素な衣を着ておられて、ふつうの一般の人に尊敬されておいでのようだった。本堂でお経をあげるときも大声であげられる。参列者もいっしょになって大声であげる。同行した座禅会の参加者が、カルト宗教のようだと言った。お話もお経の解説とかではなくて、ご自身の体験を笑いあり涙ありではなされ、生きてゆかねばならぬ、と説かれる、迫力ある心に響くおはなしだった。沢山の人が集まっておられたけれど、カルトでもなんでもなく、これが仏教そのものなんだろう、って思った。そして京都では仏教について話していたような気がした。












帰りは町から出るのに日曜日はこんなもんだ、っていう大渋滞に巻き込まれ、なんとか流れている1号線に出た。帰りは東名に乗ろうと思っていたけど、名古屋の前で20数キロの渋滞ということだったんで、結局また下道を走り、鈴鹿峠を越えて戻ってきた。














1号線は思いのほか、速い道だった。バイパス化が進んで高速並みに速い。だけど、いつか原付で東京まで行こうと思っていたのは、なかなか難しいのがわかった。今回はナビがついてない車で、道路標識だけを頼りに移動したけれど、標識にしたがってると自動的にバイパスへ誘導される。だけど原付は入れないから、行くとしたら旧国道をたどらなアカンな。あらかじめ地図で綿密にルートを探しておかないと、いきなりでは無理かな。
















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