禅寺小僧

日々の記です。

旧友と








100円ショップで般若心経や観音経の偈が売られる時代になり、ありふ
れて氾濫し何が値打ちがあって、何がないのかよくわからない時代になっ
てきたな〜と話している。今日は出雲路橋たもとの川床で大文字と比叡山
眺めながら曇っているけど気持ちいい風が吹き抜けて、今が一番いい季節
を満喫している。花見のシーズンは人で溢れかえって賑やかにバーベキュ
ーしてる人らがいっぱいあつまっているけれど、そんな人達もいなくて、
川沿いを散歩してる人達がゆくのを眺めている。前からしようと言ってい
た葉桜の会なのだ。花の季節は人が狂う桜だけど、そのあとは忘れられて
しまう。一年をおって桜を愛しているという人はいないなという話があっ
たのだった。












こないだ、うどんを食べようという集まりをしたのだけれど、なんかはじ
めにちょっと行事をしてもらってもよかったかとも思っています、という
ような感想をもらった。宗教儀式じみたものはみんなが嫌いかなと思って
しなかったのだけど、なんかしたほうがいいと思ってもらえるときもある
のだな。都市計画であったり食や食育に興味がある人が集まった。京都は
文化財が多すぎるため、貴重で重要な建物であっても保存されることなく
解体されてゆくのを調査している人、郊外の農場で野菜を育てて子供達と
調理して食べるイベントを今日してきた人などなど。取り壊され、廃棄さ
れゴミとなりゆくマイナスの価値しかない建築に新しい価値を見いだそう
としたり、生産者と消費者をつなげて野菜にこれまでになかった価値を作
りだそうとする人なのかもしれない。食育というのを立てていこうという
流れが近年出てきた。目の前に出された食物をただ食べるのでなくて、背
後にあるものを想像し感謝するのは宗教に変わるものになるかもしれない
な、などと。











このあたりは四条や貴船の川床とちがってひらけて遠くの山が眺められる。
風が気持ちよかった。










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