禅寺小僧

日々の記です。

遡上行3









サハラ砂漠に行って、お茶と点ててきたという友達がいて、ひとしきり、
砂漠の話をした。砂漠に行くと、すごく元気になるらしいのだ。何もない
ところなのに、それがいいらしい。そして、茶室でもそうでしょ、という 。
茶室も何も飾りがないけど元気になる空間で、そういえば土壁は砂漠の砂
に似ているのかもしれない。宇宙と、茶室と、自分が一つになると思える
ときがあるらしい。そしてそのときは身体の中からもの凄い元気なものが
出てくるのだと。













言っていることの全てが理解できたわけではなかったけれど、子供の頃は
その砂漠はこの禿げ山だったのだと思う。白い巨岩と清冽な清水、過酷な
世界で生きる植物。薄暗い、湿っぽい谷しかしらなかったから、始めてこ
の谷に足を踏み入れたときは、名前のない清浄があふれていて、岩をなで
て落ちてゆく水をみていると、汚れた心が清められてゆくようだった。岩
と水と砂でできた、聖地だった。その頃の林道は砂利道で、あまり入る人
もいなかった。あるとき、車を停めて、川と大岩を眺めている人があった。
ライトバンでここに来ていた大人の人は、仕事中にここへ来たらしかったが、
ここに来て景色を眺めているとホッとするんだ、と言った。何かがゆき詰ま
ると、たまに来るらしかった。そのとき、同じ気持ちですというようなこと
を言ったとおもう。ここに来れば元気になる、友達が砂漠で感じたのも、自
身が清められて内側から力が湧いてくる、こんな感じでなかったろうか?














尾根から降りて行ったら、枯れた河床についた。見覚えのある場所だった。
高校生くらいの頃、家から河を遡ってここまで自転車を漕いで、山に登り、
また自転車で帰ったものだったけれど、ようそんなことしてたな、体力有り
余ってたんやな。堅い岩をタガネとハンマーでぶっ叩いて、晶洞という水晶
なんかがいっぱい入っている穴を見つけた。友人たちと、もう飛び上がるほ
ど嬉しかった!手をいれると水晶のツルツルした平べったい結晶面があって
六角形をしているのがわかった。が、岩は果てしない程堅く、下に開いた穴
から手をいれて、上のほうに水晶なんかがあるのをどうしても取り出せなか
った。手で押しても引いてもまったく動かず、周りの岩を砕くしかなかった
のだけど、ハンマーとタガネでちまちま叩いても、ほんの少し岩が剥がれる
くらいで、穴から鉱物をとりだせるまでには、はてしない難行苦行がまって
いるのだった。触れるんだけど、そのままにしてきた。それ以来そのままに
なっている。あの晶洞はどうなったのだろう。大人が見つけてめぼしい物は
すべて取り出されてしまったかもしれない。その秘密の場所に行こうと川を
遡ってみたのだけど、とうとうわからずじまいだった。あまりに時間が過ぎ
すぎた。昔よりだいぶ藪が増えてきた。全山禿げ山のような感じだったのだ
けど。山に藪が増えた分、自身にも垢がついているかもしれない。昔はマム
シの巣のような谷で、トグロを巻いているのがよくいたけど、今回は一匹も
見かけなかった。藪のせいで見えないというより、あまりいなくなったのだ
と思う。







なんとか河原に戻ってきて、寝ころんだ。ちょっと眠れた。
もうそんなものは落ちていないと思ったけど、去りし日を懐かしむべく、
河原の砂を眺めていると、水晶だかトパーズだかのかけらが落ちていた。



手折るより やはり野に置け なんとやら








はやく仕事に戻らなきゃな。







173254