禅寺小僧

日々の記です。

顧照脚下 道に迷う。









なんとなく、また再び山頂にまで出かけて行った。
ちょっとおそくに出て、お昼過ぎにたどりつくと、
2グループほどがきていて、頂上の大岩の上は満員みたいに
なっていて、
遠慮して、端っこに坐っていると、小学生が登ってきた。
脚を踏んばって、鎖を握って、やってきた。
子供はすごいなあ。わしらは梯子から登ってきたけどな。
とかグループの人が言っている。
やったあ、と子供がいっているので、聞いてみると、
今日、はじめて、この岩に登れたんだそうな。
まえ来たときは、登ろう、登ろうとして登れへんかったけど、
今日は足がかりに注意して、足掛けるところに注意して
やったら登れた。と、なかなか意味深なことを言う。
禅語で顧照脚下(しょうこきゃっか)脚もとを見なさいよ、
遠いところに気をとられて、いま自分の立っているところを
おろそかにしてはいけませんよ、ということそのものじゃないの。
ほんとうに、するする、彼は登ってきたのだけど。












この日は登りも途中から登山道でないところを登ってきていて、
山頂で小休してから、この道はどこに行くのかな、という興味から
登山道からはなれて、小さい尾根道にはいる。
かつて工事で植林したようなところで、秋には人が入るんだと思う。
誰もいない山を楽しんでいた。
好きな観察などもして、遊んだ。
ここはもともと岩山なんだけど、そのうち尾根の終わりの岩壁に行き
あたって、両側から谷に挟まれて、進めなくなってしまった。
高さが怖い人は別だけど、山の尾根は見晴らしもあって、
乗り越えられない岩とかがないかぎり、まず歩きやすい。
ところがここにきて、どうにも進めないので、
どちらかの谷におりないといけない。
あの先の別の尾根の向こうに、あのおおきな山との間に道がある
のだけれど、どうにも進めない。あそこまで行ければ出れるのだけど
もう尾根道は終わりになったのだ。
連れている犬が咽喉が渇いているんだろう、反乱をおこした。
どんどん谷に降りてゆく
だけど、そこは道でもなんでもないところで、水の音がするから、
という理由で、彼は落ちるように下に向ってゆく。











下は本当に清冽な谷できれいな水が滝つぼに溢れている。
犬が水を飲み、人間も飲み、ペットボトルにも詰める。
途中、川の中を歩いたり、滝を巻いてシダの生い茂る崖を
降りてみたりしたけれど、結局、どうにもこうにも進めない。
これでは時速数百メートルだし、日没になったら動けなくなって
しまう。無理して行動して、足を滑らせたら、誰にも発見されまい。
午後4時30分、進めない谷を降りることをあきらめて、
上を目指して、尾根に向って登ることにした。
進めそうなところを探して、登ってゆき、尾根にたどりついた
ところが、そこに道はなくて、人が踏んだことのなさそうな、
はじめて人の足に踏まれるような砂を踏みしめて薮をかいくぐって
ゆく。
そのうち、人の歩いた後のようなところまでゆきあたり、ほっと
していると、旧建設省山腹工事の白い境界標があった。














午後6時半、再び、誰もいない山頂にたどり着いて、
日没に出会った。
いろんなことのあった一日だったな。
道に迷ったときは、あそこまで行けば安全地帯に出れる、
と無理をして、強行行軍を行なって、ドツボにはまることが
あるんではないか。あそこまで行けば大丈夫と頭で思い込んで
ないか。思い込みたくなるんではないか。
ノドが乾いて、水を飲みに下におりて、というのもそう。
だけど、道に迷ったんだから、道を見失ってしまったのだから、
大切なことは、安全に、確実に道にまで出ることなんだな。
来たルートを引き返して、歩いてきたところに戻るのか、
それとも歩きやすいところを探して、確実に道のあるほうへ
戻るのか。
山は広いけれど、人は道のあるところ以外、歩けない。
向こうの山に沈みゆく夕陽を眺めつつ、小学生の言っていた、
足がかりに注意して登ったら、登れた。という話を思いだしていた。
山頂のイワクラの下にある祠で、お参りした。
ありがとうございました。
戻ってこれました。
やっぱり山に入る前にもお参りしないとな。


快適な登山道を下山した。






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