禅寺小僧

日々の記です。

オープニング











メトロのイエナ駅を出たところに、ギメ美術館がある。国立の東洋美術館で、その昔、事業家で香水を商
っていたエミール・ギメという男が成功し、成功者の一つの典型であるらしいのだけど、東南アジアや中
央アジアの美術品の収集しはじめた。蒐集のために中国に来ていたとき、日本ではちょうど江戸幕府が倒
れて明治政府へと時代が変動しているときだった。江戸までつづいていた文化や風習は古いものとして、
どんどん捨て去られていた。仏教寺院も例外ではなく、建造物、仏像経典などの美術品、行事風習も古い
ものとして捨て去られる運命にあった。廃仏毀釈という明治政府の国家神政策にもとづいた仏教排斥運動
だった。中国の文化大革命や、チベット人民解放軍が入ったときとおなじようなことが日本でもおきて
いた。ちょうど中国まで来ていたギメさんは日本まで行くことにし、日本の仏像などを蒐集してフランス
まで持ち帰って南仏リヨンの倉庫に収蔵されることになった。そのまま約100年間、倉庫の中で眠り続け
ることなる。















それから表にでることはなかったのだけど、調査で日本の美術品がたくさんあるのが再発見された。ギメ
美術館の本館にはおさまりきらないので、シラク大統領の時代に本館にすぐ近くの古い建物を買い取って
別館とし、日本美術を展示することになったというわけ。いま仏様はガラスケースの中でゆったりしてお
られる。別館のオープンのときには日本から偉いお坊さんに来ていただいて護摩を焚いた(と聞いたけれ
ど、ほんとにビルの中で護摩を焚いたりできるのだろうかね?)らしいんだけど、今はお経を聞くことも
なく、お供えものをしてもらえるわけでもなく、おられる。遠いところまでおいでなりましたねえ、と挨
拶する。














ボストン美術館の収蔵品でもそうなのだけど、海外に出ている日本の美術品にはいいものが多い。豊臣秀
吉旧蔵の五百羅漢図100幅を博物館で見たとき、日本に残っているものよりアメリカに渡ったもののほ
うが状態がいいので、へえぇそうなんか、と思ったことがあったけど、ギメの場合もやっぱりいい仏様が
多い。なかには法隆寺釈迦三尊像の脇仏がおられたりする。聖徳太子が造られた仏像がおいでになって
るんである。いまでも日本におられたら国宝だろうなと思うような方が大勢いらしゃる。














倉庫から香炉を出してきて、中の灰を掃除して日本から持ってきた炭を入れた。お菓子と、お茶を点てて
もらってお供えしていただく。サヌカイトの音楽の演奏がしばらくして、入場、焼香してお経をはじめ
る。お経の最中にあちこちの仏さんに一仏ごとに手を合わせて焼香して廻る。あたたかい光が射してくる
方、斜めの斜光線がくる方、ビーム、涼しいかんじとか。こちらに届けていただくものがそれぞれの仏様
でものすごく違うんだな。久しぶりに、日本の坊さんがお経をあげて、仏様はやさしい穏やかな、お顔に
なられた。喜んでいただいていると思う。遠いところよく来てくれたと。終わってから、来場者の一人の
方が、オーラが出ていた、って言っておられた。オープニングは思いの外、うまくいった。そして沢山の
ものを与えていただいた。












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