禅寺小僧

日々の記です。

月面庭園


Ayako 『岩と砂だけの月面上。景観デザインとして月の禅庭を提案しているのですが、石庭ってそもそも岩をどうやってうごかしているのでしょうか?もしも全て遠隔操作で機械にやらせたとしたら、日本の禅の伝統を侵害することになったりはしないでしょうか?逆に、禅の本質には関係ないかもしれませんよね。
お返事まってます。』


 岩を動かすときは一輪車とか、ネコっていう二輪車で動かしています。
たいていは一人で動かせる岩をつかっています。去年ドイツで石庭をつくった
ときは、コロやらテコやら押したり、ひっぱたりで、10人ほどで寄ってたかって
動かしましたナ。スコップで穴掘って、そこに岩を落としこんで、立てて、
土をかぶせて埋めてきました。


遠隔操作ということは月面上に庭を作られる?のでしょうか?
それとも景観デザインとして地球上のどこかに月のイメージで
創作されるってことなんでしょうか?


禅寺の庭には簡素な石庭がある場合が多いのですが、
伝統的な庭の場合、寺院に修行僧が集まって日々生活しています。
お経を読んだり、坐禅をしたり、托鉢をしたりの日常そのものが
自分の修行そのものでもあるという生活です。
本堂には本尊がいらして、坐禅堂には僧侶が坐禅をしていて、
その本堂、坐禅堂に連なって、あるいは延長として、庭園があります。
朝になって陽がのぼれば修行僧自らが掃除し、季節になれば剪定する庭です。


日本の生け花ももとは仏花としての花から始まっています。
庭もまた同じような意味では仏庭といってよく、
どちらも本来は仏の慈悲を表しています。
表面的には季節感であったり、静寂であったりのイメージで
語られるのでしょうが、本質としてはそういうことです。
とはいうものの、現在の生け花も仏の真前に捧げる花から
デザイン重視のアレンジメントになりつつあるのでしょうね。


Ayakoさん、庭ができたら是非、写真を一枚送ってくださいな。
できればこのページに載せさせていただきたいので。