禅寺小僧

日々の記です。

和合の喜び









どこに行っても嫌われない、かわいい人っていはりますよね。
この人やったら、どこ行ってもいじめられへんわ、っていう。
とりあえず人の話を素直に聞いて、落ち着いていて、きっちりしてて、
でしゃばらない人。そんな人になれたらいいな、とあこがれてはいるけれど、。
こだわりや意識が邪魔をする。













芸大の大学院の入試ってかなり狭き門らしいですね。
他大学から編入で大学院に進学した生徒から聞いたんですが、
ある学科では定員が2名だったそうです。そのうちの1名はその大学内部から
あがってこられるので、他大学から試験を受けて入学を希望する人の枠は実際には
1人、もしくは0人なんだそうです。なかなか厳しいのですね、ちょっと驚きました。


大学4回生のときは、卒業制作と大学院の入試を同時にこなすことになり、
もう、ほんとうに大変な、気の休まる間もない、一年だったそうですが、
実力も努力も運も味方したんでしょう、なんとか合格して進学できたんです。
やっとの思いで入った大学院だったんですが、まわりからの風当たりはきびしかった。
先生の顔つきも他の生徒に話すときとはちがうし、そんなに技術があるんだったら
この学校にこなくてもよかったのに、前の学校でそのまま上がればよかったのに、
とか言われて、もう、どうしていいかわからなかった。
前にいた学校と新しい学校はライバル校だったんです。


そうこうしてるうちに今まで、自分の力でやれていると思っていたことが、
実は前の学校の先生の指導の下で、先生の力のおかげでがんばれてたことに
気がついて、さらに落ち込んだ。
新しい学校では生徒も先生のライバルで、先生が生徒に教えたりはせず、
自分の力だけでやる学校だったんです。負けん気が強く、ガツガツ積極的に
質問したり、互いの作品を堂々と批評していたわたしは、先生や他の生徒と
柄が合わなかった。なじめなかった。悪く批評することもないアットホームな
和気あいあいとした環境に絶望した。


もう堕ちてくところまで堕ちようと思ってた。生きたくなかった。
見失っていた。学校も止めたかった。
支えてくれたのは故郷の友人と母親でした。
苦しい一年間でした。前期はボロボロで、逃げたくて、筆が持てない。
作品も仕上がらなかった。
心身ともに疲れ果てて、夏、実家に帰って整体の先生のところに治療に行ったら
先生が、
「あなた堕ちようとしてるでしょ」
「そんなことありません」
「でも、堕ちたいというのが身体に出てますよ」


そのとき気がついた。
わたしは過去に、どこかで誰かを小馬鹿にしたことがあった。
わたしには自信があった。
相手にしてきたことが、今、全部、いっぺんに自分に返ってきたんだ。
このままやったら、堕ちる。
目が覚めました。
そうだ、わたしは絵が描きたくて、描きたいから進学したんだった。
後期の制作展には本当に描きたいやつを描いてやろう。
わたしは仏画を描きたい、まえから描きたかったんだ。
その時、道が固まった。目標ができたのです。


次の日の朝には実家をでて、そのまま大学院の画室にむかい、
筆をとって制作をはじめたのです。
それからは不思議なことに、だんだん周りのみんなとも馴染めてきて、
やっと普通に話せるようにもなり、自信がつきました。
今日一日を精一杯生きてやろうとしているうちに、毎日が楽しくなってきました。
前にも自信はあったけれど、前の自信は何やったんでしょう。
あまりよくない自信だったと思います。
うまく言葉で言えないけれど、若かった。


その作品は賞を取りましたが、わたしは賞がとれたから嬉しいんじゃないんです。
描けたというより、成し遂げた、ここまで来れたという喜びが大きかった。
前期、生きるのが本当にしんどくて、一秒一秒が苦しくて苦しくて、何もかも棄てて、
堕ちてしまおうと思っていたのに。


本当にすごい。あんなにダメだったわたしが、
周りの人と一緒に、ここまでできたんです。
 












聖徳太子は十七条憲法の第一条の末尾でこう言っておられます。 
 

上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、
すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。


上の者も下の者も和合の気持ちで話しをするなら、おのずからものごとの道理にかなう。
どんなことも成就するものだ。


みんなでやればきっとかなうのです。